FIT2023「データとメカニズムから紐解く、 Well-beingな組織づくり」セミナー
セミナー※本セミナーは2023/10/27にFIT2023@東京国際フォーラムにて開催されました。
※動画での視聴も可能です。(下部にあり)
【パネリスト】
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授 前野 隆司 氏
株式会社ハピネスプラネット 代表取締役 CEO 株式会社日立製作所 フェロー 矢野 和男 氏
【モデレーター】
非営利株式会社eumo 代表取締役 岩波 直樹 氏
■プレゼンテーション1
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授 前野 隆司 氏
ウェルビーイングとは
タイトルは「ウェルビーイング経営 従業員と社会を幸せにする働き方とは!?」です。持ち時間が10分間ですので、ダイジェスト的にお話しをしていきたいと思いますが、皆さまは“ウェルビーイング”という言葉をご存じでしょうか。人によって、健康、幸せ、良き人生、満ちたりた状態など、いろいろな訳し方がされていますが、体の健康、心、社会福祉の全てが良い状態をウェルビーイング(Well-being)と言います。幸せを表す言葉、happinessは感情の幸せを指し、ウェルビーイングの中に含まれています。
ウェルビーイング経営と人的資本経営のつながり
ウェルビーイング経営が広がってきています。健康経営、働き方改革、そして人的資本経営など、いろいろなものと関係しているからだと考えられます。人的資本経営の第一人者である伊藤邦雄先生は、人的資本を可視化・情報開示し、それに投資家が投資をする良き循環が起こるべきだとおっしゃっていますが、その伊藤先生の資料のど真ん中にもWell-beingと書いてあります。ウェルビーイングを高めることが人的資本経営にもなるからです。『Harvard Business Review』に掲載された幸福度とパフォーマンスの関係を示したデータによれば、幸せな社員は創造性が3倍、生産性が31%、売り上げが37%高い。あるいは欠勤率が低く、離職率が低く、業務上の事故も少ないことが分かっています。このデータから、従業員のウェルビーイングを高めていけば、生産性向上が見込めるということが分かります。生産性が3割高くなれば、働き方改革にもなります。幸せは健康にもつながりますから健康経営とも言えます。人的資本経営、働き方改革、健康経営とウェルビーイング経営は密接につながっているのです。
企業価値・株価・利益は社員の幸福と比例する
今年、発表されたOxfordのJan先生の研究結果です。横軸にcompany wellbeing=社員のウェルビーイング、縦軸に左からfirm value=企業価値、return on assets=株価、そしてprofits=利益をとったグラフですが、社員のウェルビーイングとそれぞれの高まりがきれいに比例しています。社員を幸せに、ウェルビーイングの高い状態にしておけば良い組織になり、利益も売り上げも株価を上がっていくということがエビデンスとして分かっているのです。
また、ウェルビーイングは健康とも密接な関係があり、幸せな人ほど健康・長寿になることが分かっています。なんと、幸福を感じている人はそうでない人に比べて7年~10年も寿命が長いというデータもあります。また、口角を上げただけで幸福度が高まり、免疫力が高まったという研究結果もあります。免疫力が高まれば病気になりにくく、だから長寿になるのです。こういった研究は世界中で行われており、その結果から「社員のウェルビーイングはより良い組織のために重要だ」ということが明らかになっています。にもかかわらず、日本のウェルビーイング経営は遅れています。アメリカ西海岸では「ウェルビーイングだぜ、幸せに働くぜ」と言ってGAFAなどがどかんと利益をあげているにもかかわらず、日本では相変わらず「歯を食い縛って働くのが仕事だ」と言う考えが根深く、ウェルビーイングや幸せを仕事につなげるのは甘いという誤解があります。
非地位財型の幸せ-幸福の4因子
私が研究する幸福学の大前提として「地位財型の幸せは長続きしない」というものがあります。地位財とは他人と比べるような財、いわゆる金・モノ・地位で、これらを得たことによって感じる幸せは長続きしません。それに対して、心理学者による膨大な研究結果を分析した結果わかった、幸福の4因子「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「ありのままに」を実践しながら生きている人は長期的な幸せを感じています。これは非地位財型の幸福です。やりがいやつながりを感じている、感謝があり利他的である、前向きでチャレンジができる、ありのままに自分らしさを持って働いている人たちこそが幸せなのです。ですからこの4つを満たすような働き方を私は推奨しています。
ウェルビーイングの広がり
ウェルビーイングは教育界でも広がりを見せています。現在、慶應大学の教授をしていますが、来年度からは武蔵野大学ウェルビーイング学部長を兼務し、ウェルビーイングの高等教育を始めます。文科省でも次の教育改革の柱にウェルビーイングを置いていますから、これから小学校、中学校、高校にもウェルビーイングが入ってきます。あるいはデジタル庁が掲げるデジタル田園都市国家構想も、3つの柱として「Sustainability、Well-being、Innovation」を掲げ、地域のデジタル化を進めていく目的の一つはウェルビーイングだと言っています。先日は岸田内閣の所信表明の中で、日本の首相として初めてウェルビーイングという言葉が使われました。SDGsが広がっていったように、ウェルビーイングはじわじわと、しかし確実に世界に浸透し始めています。
幸せを測るツール-AIの活用
幸福度診断ツール、Well-Being Circleを開発しました。矢野さんはテクノロジーで幸せを測っていらっしゃいますが、私は原始的なアンケートという方法を取っています。幸福度診断の結果に対するChatGPTを使ったアドバイスも非常に有効で、「人間味のある人だったとしたらあなたはどうアドバイスしますか」と聞くと、なかなか良い感じでコメントをしてくれます。また、NECと一緒に、働く人のウェルビーイングをサポートするAIチャットボットの開発を行いました。チャットボットを通じて蓄積されるデータを、より人々が幸せになるための研究に活用しています。さらに、パーソル総研とは「はたらく人の幸せの7因子・不幸せの7因子」をアンケート結果から分析し「はたらく人の幸せ不幸せ診断」を開発しました。これの精度はかなり高く、14因子に分けた詳細な分析が可能です。個人の幸せを測るWell-Being Circle、働く人の幸せを測るはたらく人の幸せ・不幸せの7因子など、因子分析ばかりしていますが、漠然としている“幸せ”という概念が、因子分析することで要素にわけられ、より目指しやすくなります。健康診断では血液検査、体重、身長などを測りますよね。いろいろ測定することにより多面的に健康が分かるのと同じように、多面的に幸せが測れるようになることで、幸福度をあげていきたいと考えています。
■プレゼンテーション2
株式会社ハピネスプラネット 代表取締役 CEO / 株式会社日立製作所 フェロー 矢野 和男 氏
機動力のある組織こそ安定を生む
日立に入社して40年になりますが、この20年ほどは「いかに人や組織を生産的で幸せにするか」をテーマに、データを使った研究してきました。ピーター・ドラッカーは「未来は知りえない、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違う」と言っていますが、世界が予測不能に変化する中で、どう業務を回していくべきなのでしょうか。PDCAや標準化は“昨日と同じ今日である”という前提に基づいたやり方です。前提がどんどん変わっていくような状況においては、変化に対応して速やかに現状を見直し、変化そのものから学ぶような、機動力の高い組織こそが安定を生みだします。ということは、人は常に成長し続けなければならないということです。
幸せに働くことが利益を生む
今こそ“働く”ということを見直す必要があります。多くの人はこれまで、「一生懸命に働くことで利益を出し、世の中が豊かになることで幸せになれる」と考えてきました。ところが、ある程度豊かになってくると、利益による幸せへの感度は下がっていくことがデータとして出ています。ではどうするのか。社会の中で自らの役割を持ち、工夫や挑戦をし、充実感ややりがいを持つこと。それこそが幸せな働き方です。そして、そういった工夫や挑戦が新たな利益を生み出し、次の仕事や社会を作っていく。こういった循環がしっかりと回っていることが、社会のウェルビーイングなのです。
幸せだと仕事がうまくいき、病気になりにくい
「ウェルビーイングは主観的で曖昧なもの」という所で思考停止している人が多いように思いますが、この20~30年でかなり具体的なことが分かってきています。前野先生も体系的な分析を行われていますし、それ以外にも多様な手段で研究が進められています。われわれは体内に生じるバイオケミカルな反応、血液、血管、ホルモン、呼吸数、発汗等という、人間のDNA上、極めて普遍的なものに注目しています。例えば左脳は脅威を察知するとき視野を狭くし、ある種の不安を呼びおこし、それによりリスクを回避しようと対応します。一方、右脳はチャンスを察知するとき、視野を広くして行動させます。これらは全部本能的にわれわれが持っている回路で、体の反応として現れます。左がリスク回避モードで右側が発展モード、両方とも大切です。ところがこの30年ほど、日本は左だけを重視し、右をないがしろにしてきました。その結果、多くの人は「仕事がうまくいった後で幸せになる」、あるいは「健康だったら幸せになる」と誤解していますが、因果関係は逆です。幸せだと仕事がうまくいき、病気になりにくい。ウェルビーイングありきなのです。先ほどの前野先生のお話しにもありましたが、営業が幸せだと受注率が3割ほど高く、創造性は3倍も高く、離職率が半分に下がる。幸せな人が多い企業の1株当たりの利益は18%も高い。こういった研究結果が数多く報告されているにも関わらず、多くの人は未だ「幸せ」という言葉と厳しいビジネスの世界にギャップを感じています。しかし、幸せとは楽で緩い状態を言っているのではありません。一生懸命働いた後で1週間ハワイに行くから楽しいのであって、ずっとそうしているよう言われたら、その楽しさは続かないでしょう。一言で言えば、右側の発展モード、前向きな先進的エネルギーを持っていることこそが幸せで、それが失われ、不安や不信感を持っている状態が不幸せなのです。
前向きさはスキル
前向きさはいろいろなやり方で高められます。性格ではなくスキルなのです。前野先生は4因子をあげられていましたが、Fred Luthans先生は幸せの4つの力 として「HERO」というまとめ方をしています。Hope、Efficacy、Resilience、Optimismの頭文字を取って内なるHERO、心の資本(psychological capital)と呼んでいます。未来が見えなくとも、この先に道があると根拠なく信じられることは、極めて重要なスキルです。その上で動ける範囲で行動に踏み出せるか。もし上手くいかないことがあっても、前向きなストーリーを作って立ち向かえるか。ストーリー作りもスキルですから、練習次第でいくらでも高められます。前向きさを保つ力こそが、幸せの鍵なのです。
前向きさを高める一番の要因は“人間関係”
前向きさを高めるにはどんな要因が一番効くのか。84年に渡って調べたハーバードの研究結果では、良い人間関係こそが普遍的な幸福の要因であるとされています。そこでわれわれは良い人間関係とは何かを調べました。誰と誰が、いつ、どれだけコミュニケーションを取っているか、一日の体の動き、今週幸せだった日、悲しかった日、孤独だった日はどのぐらいあったかというデータを、さまざまな職業を横断して大量に集めました。その結果、幸せで生産的な人たちとそうでない人たちを分ける極めて重要な要因が明らかになり、去年『Nature』のScientific Reportsに発表しました。実は、コミュニュケーションで大事なのは量ではなく、関係性の形です。Aさんとよく話しをするBさんとCさんがいるとします。このとき、BさんとCさんの間につながりがない場合、この三人の関係性はAさんを頂点としたV字型になります。一方、BさんとCさんもよく会話をするような場合には、この三人の関係は三角形になります。このVか三角形かという小さな違いがAさんの幸せに大きく関わります。V字型の場合にはAさんは落ち込んだりうつになったりする可能性が高く、三角形の場合には生き生きと働ける可能性が高い。例えばある人がプロジェクトに参加したとします。プロジェクトのリーダーと所属組織の上司がいて、それぞれが別のことを言ってきます。リーダーと上司が全く話をしない場合、この人は落ち込んだり気持ちが乗らなかったりします。あるいは、私と家内と娘のケースです。家内は私とも娘ともよく話をしています。ところが私は娘とは直接話さず、いつも家内経由になっていたとします。そうすると「自分の娘なのだから直接話したら」と妻がキレます。一方、もし私と娘が話せば、3人は仲間になります。結束や信頼がある所には三角形が自然にできるのです。
組織の三角形をつくる仕組み
組織図どおりのコミュニケーションは基本的にV字型です。データからはそういった組織は必ず不幸になることが証明されています。現代における一番の問題は極端な効率重視で、あまりにも効率を重視した結果、用事がある時にしかコミュニュケーションが取られなくなり、用がない人とはつながりが生まれなくなりました。そこで、われわれは用事以外のコミュニケーションを生むシステムを作りました。話のきっかけとなるお題を与え、それに答えると周りからフィードバックがもらえるようなシステムです。スポーツとビジネスには地道な努力やチームワークなど共通項も多いですが、応援の有無という面では大きく違います。応援にはする側にもされる側にも前向きなエネルギーを高める力がありますから、それを仕組みとして利用しました。例えば「最近読んだ本について教えて」と言うと、用事がなければ話さなかったような人が発信し、それにより人柄がみえ、周りからの応援が返ってきます。横のつながりは、企業がサバイブし、変化に向き合うためにはなくてはならないものなのです。
パネルディスカッション
岩波:ウェルビーイング、あるいは人的資本経営という言葉がはやっていますが、本質的な取り組みをしているところと表象的になってしまっているところがあるように感じています。お2人とも多くの企業とお付き合いがあると思いますが、ウェルビーイングを目指してはいるけれども、少しずれているなと感じるようなケースはありますか。
前野:坂本先生や稲盛さんなど、ウェルビーイングといわれる前から幸せ経営を行っていた方々はいました。そういう人たちはウェルビーイングが第一にあって、その後に売り上げや利益があるという順番をしっかりと実践されていた。一方、最近は売り上げ、利益が第一だけれど、ウェルビーイングも少し始めてみようという企業が増えてきて、やっぱりなかなか上手くいかないと。本気でウェルビーイング経営をしている企業と、少しやってみたけれども思うようにならない企業に分かれているように思いますね。
矢野:お客さんごとに出発点が違うので、できている、いないをあまり分けない方が良いと思っています。長年の取り組みの結果、良い状態になっている所も、そうでない所もありますが、それぞれの事情があっての現状なので、それを駄目だと言っても仕方がない。それよりも今より良い状態、よりウェルビーイングな状態に向かって継続的に動き続けることが重要です。時間がかかる取り組みを地道に行っていく必要がありますから「地道な挑戦ができますか」という問いに向き合うことになるとは思います。
岩波:矢野さんから「三角形の関係は、変化に対応していくために無くてはならないものだ」というお話がありましたが、こういう認識は非常に大事だと思います。ウェルビーイング経営と言うと、どこかで会社が緩くなるだけじゃないかと思っていたり、結果が出る前に信じきれなくなって継続できなくなったりということが起きがちですが、継続していくこつはありますか。
前野:ウェルビーイングには健康も含まれますが、続けるコツは似ています。ジョギングが続いている人は毎朝しなければ気持ちが悪くて仕方がない。続かない人はやったほうがよいと思ってはいるけれど、面倒くさいからごろごろしてしまう。違いはそれ自体を楽しんでいるかどうかと、長期的な成果と短期的な快楽のどちらを大事にしているか。少しなら食べ過ぎてもよい、少しならごろごろしてもよいという考えを律する力があるかどうかと言うと少しお説教くさいですけれど、幸せも似ています。あいさつをして、少し雑談をする。そのやる気を出せばよいんだけれど、面倒くさいからやらないんですね。ジョギングも急に10キロ走ったら3日で疲れ果ててしまいますから、まずは100メートルでも500メートルでも走ってみて、それを継続していくことが大切です。ですから、ウェルビーイングもまずはあいさつをするという所から。Happiness Planetから始めるのもよいと思います。
岩波: Happiness Planetはまさにそういうきっかけ作りですね。
矢野:本人の意思や習慣づくりも大事ですが、人間はソーシャルな生き物なので、周りの影響を受けやすくできています。ですから周りで起こっていることが、ボディブローのように効いてきて「自分も何か行わなければ」と動き出すというのはあるかなと。あとは会社全体に直接は影響がないように見えても、何か小さな行動を起こしたり、発言をしたりし始めることはとても大事なことです。「私は社長でも事業部長でもないからそんな権限はない」と思わずに動いてみる。その動きがトップにも伝われば、上も方針を出しやすくなっていきます。
岩波:「笛吹けど踊らず」と言われますが、今はトップが「こちらへ行くぞ」と言ったところで誰も踊ってくれません。私たち一人ひとりが醸し出すことが変化に繋がっていく時代ともいえると思います。続いて、新しい技術の活用についてお伺いします。人を幸せするDX、あるいは人が幸せになるようなAIという観点からご意見をお聞かせいただけますか。
前野:全てのテクノロジーはウェルビーイングに対して中立であり、良くも悪くもなります。自動車も便利ではあるけれど、排気ガスを出します。全てのテクノロジーは同じで、AIもそうなっていくと思います。デジタル庁が地域のデジタル化を目指す時に、ウェルビーイングを目標に掲げたことには非常に賛同しています。効率化のためではなく、ウェルビーイングのためにどのようなデジタル化ができるか。そもそも私たちは幸せになるために生きています。不幸せになりたい人は1人もいません。しかし、仕事になると効率のため、利益のためと言い出す。本当は仕事も全部ウェルビーイングのためです。デジタル化も働き方改革も、ウェルビーイングを真ん中に掲げて進んでいくとよいと思っています。
矢野:全く同感です。また、今、まさに重要なのは前野先生のプレゼンにも出てきた生成AIで、革命的です。自動車や電気が生まれたのと同じと言う人もいますが、私は科学が生まれたのと同じぐらいのインパクトだと思っています。ニュートンはリンゴと月が同じ運動法則にあり、これまでの軌跡から次が予測できると言いました。ChatGPTは言語のつながりで次のことを予測します。ニュートンが言っていることと同じことを言語上で行い、われわれの思想に至る所まで予測できるようになってきています。マスメディアは脅威の議論が好きなので、左側のリスク回避の回路から「仕事がなくなる」といったような発信をしていますが、私はDX、あるいは仕事そのものの中にある“ウェルビーイングでないもの”は無くなってよいと思っています。先日、私の誕生日におしゃれなメキシコ料理屋に行きました。スマホでメニューをオーダーするシステムで、家内と2人でメキシカンビールに前菜をつまみつつ、メインにお昼のセットを頼んだら、いきなりコーヒーが来てびっくりしました。よく見ると従業員がオーダーシステムの機械の一部のように働いていて、誰も人を見ていません。効率だけを考えているので、目の前の客が誕生日をお祝いしていることにも、前菜とビールの次にメインを頼んだことにも気が付かない。ああいうDXはなくしたほうがよいと思います。一方、生成AIは人間的なものに柔軟に合わせることが可能な技術なので、人を幸せにするためどんどん使ったらよい。「技術で人を幸せにする」という発想でものを作っていくということはとても大事だと思います。
岩波:最近、飲食店のモバイルオーダーが増えましたが、飲食の楽しみはエネルギーを補給することだけでなく、お店の人やその他のお客さんとの会話を楽しむということにもあると思います。それをなくすDXはどうなのだろうと。
矢野:まさにそうです。経済取引において、店と客は食事を提供しお金を払うという関係にありますが、それだけではV字型です。しかし、カウンターで店主が話を振ってくれて、カウンターの隣同士が話をできるようになると、店主と隣同士で三角形ができます。お店という場を通してコミュニティーができる。「人間の存在を忘れたDXや効率化は悪」ぐらいに思っておいてよいのではないでしょうか。
岩波:本当に良い店はお客さん同士が友達になりますし、良い会社のお付き合いはお客さん同士もつながります。合理化・効率化を進めることで数字上の成果が出ても、人としては幸せではなくなってしまうというのは非常に大事なポイントだと思います。
前野:昨日、岩波さんと一緒に日本の幸せな会社の代表である伊那食品工業の見学にいってきました。伊那食品では書類はなるべく作らず、IT化もそれほど進んでいません。塚越最高顧問が「会社で一番大事なことは思いやりです」とおっしゃっていたことに感銘を受けました。IT化やDX化を進めてもよいけれど、合理化だけで突っ走れば、人と人のコミュニケーションが減り、思いやりが減ってしまいます。先ほどのレストランのDX化と一緒です。ですから職場でDX化を行う時には心のつながりや思いやり、信頼、先ほど矢野さんがおっしゃっていた感謝や応援といった青臭い、ウェットな部分についてしっかりと考える必要があると思います。
岩波:伊那食品はかんてんを作っている600人弱の会社で、コロナ期を除き、48期増収・増益が続いています。社員同士が何でも言い合える雰囲気が普通になっていて、結果として業務が合理化し、効率化が進んでいるというのが見て取れました。普通の経営者はなかなかこの順番ではできません。自分の指示通り動いてもらうほうが、コントロールしている感覚があり、安心なのです。これは社長に限らず皆さんが部長や課長になった時にも同じかもしれません。その思考からどう抜けていくのかは一つのポイントだと思うのですが、その辺りのきっかけ作りもHappiness Planetでできますか。
矢野:できます。私は日立に40年いて、3年前にスタートアップを作りましたが、大企業とスタートアップではいろいろと違います。ある程度の規模になってくればリスク回避的なこともしていかなければなりませんから、大企業は左側のリスク回避モードに寄っています。それ自体は別に悪いことではありませんが、左ばかりになり、バランスが悪くなっていくことは問題です。一方、スタートアップは多くの場合、右側の発展モード、成長モードです。うまく伸びている会社は必ずそこからスタートしますから、皆さんの会社も創業時にはほとんどそうだったはずです。会社が大きくなるにつれて統制が必要になっていきますが、今の時代、右側を失って左側だけになってしまうと生き残れません。なぜなら、ものすごい勢いで世界中のスタートアップが発展・成長モードで攻めてきているからです。皆さんの仕事もいずれはどこかで競合します。結局、リスク回避だけをしていることは一番ハイリスクなのです。
岩波:そもそもの思考や捉え方を変えなければならない時代に入ってきていますね。合理化・効率化の教育をされてきたものだから、全てを白か黒かの二項対立的に見てしまい、右と左は両立できないものとどこかで感じてしまいますが、基本的にはバランスです。
矢野:うまくいっている会社は必ず両立できています。
岩波:合理化・効率化のほうが数字で示せて分かりやすく、人を納得させやすい。簡単に言えば左のほうが人を動かしやすいんです。右側は曖昧さが含まれているので、意識的に声掛けをしたり、仕組みを入れたりしていかなければならない分、難しい。けれどもバランスが大切であることを認識できれば少しずつ変わっていきます。さて、今日は金融機関の皆さん向けのイベントですが、金融業界においてのウェルビーイングについてアドバイスはありますか。
前野:もともと金融はお金がなくて困っている人と余っている人で助け合う仕組みで、本来は思いやりの塊のはずです。巨大化したことにより極端な合理化に走っているようにみえますが、信用組合や信用金庫のトップで、大変人間味のある金融を行っている方もいます。お金だけでなく心のやりとりをしているその在りようについては、大手の金融機関が学ぶことも多いと思います。例えば社員同士の心のつながりもそうだし、お客さまとも利息の高さだけでなく心がこもったサービスでつながることが出来るかもしれません。少し青くさいかもしれないけれども、それがウェルビーイングだと思います。
矢野:金融機関は最も激しい変化の中にいる組織だと思いますが、変化よりもまず業界内のルールや規制に対応するよう習慣付けられています。要は左のリスク回避モードの思考回路が染み付いているんですね。しかし、ある主の危機意識も含めた共通認識を組織全体で持って、ヒエラルキー型の取り組みではなく、横や斜めのつながりを中心とした取り組みを起こしていけば、縦割りを越えた会話やアイデアが生まれ、イノベーションがおきます。しなければならないことだけでなく、したいことに足を踏み出せている状態こそ、まさにウェルビーイングです。
岩波:ウェルビーイングは、必ず内的なものと結び付いています。内的モチベーションとも言われますが、価値ややりがいを感じられる仕事の割合が一定以上なければウェルビーイングに働いているとは言えません。誰からの指示か、どのような戦略の下にあるのかといった外側は気にするけれども、その仕事に対して自分がどのように感じ、どういう意義を見いだしているのかということへの感度が皆さん非常に低い。一人ひとりが内的モチベーションを感じ、ウェルビーイングに働こうとする人を増やしていくことが重要だと思います。では質疑応答に移りましょう。
質問者1:Vから三角にという話で、おせっかいを焼いて三角を生みだす人をどうやって増やすかがポイントだと思いました。金融機関は評価がやりがいに紐づいていることが多いので、そういった動きを評価したり、ポイント制にしたりするようなことが考えられますが、そうではなく自然に三角が増えている事例、あるいはそのきっかけなどがあれば教えていただけますか。
矢野:大事なポイントだと思います。いろいろありますが、まずはVと三角という見方をする人を増やす、あるいはVと三角を共通言語として組織のいろいろな所で語られるようにすることです。「ここの会議はVになっている」、「あのプロジェクトは三角でやたら活性化している」という会話があちこちで出るような啓蒙活動をするというのが第一歩です。その上で、当社のアプリを使っていただく以外にも三角を作る方法はいろいろあって、会社が費用を負担してランダムに選んだ人同士でのランチミーティングをする、メンター制度を入れて斜めあるいは離れた人と話すような場を作るなど、さまざまな仕掛けが考えられます。一度、この概念が理解されれば、視点があがって組織がVと三角形に見えてきますから、まずは啓蒙活動を行うことが第一です。私を講演に呼んでいただいくのもよいと思います。あとは「おせっかい」という言葉は面白いと思うので、「おせっかいな三角」というようなプロモーションをインターナルブランディングで行うとよいですね。
岩波:ではもう一人お伺いしたいと思います。
質問者2:Vから三角にしていくことによって新しくできた道、水路にどういう情報が流れていくことで、発展性のある仕事になっていくのか。あるいはウェルビーイングにつながっていくのでしょうか。
矢野:普通、ビジネス上では具体的な要件のコミュニケーションが多いですよね。ところが、少しのきっかけを機に雑談型で話しをすると、その人の思いや人柄が現れるような会話が立ち上がります。そうすると関係性の質が高まり、お互いの会議での発言がより深く理解され、コミュニケーションの質があがるということがあちこちで起きています。また情報交換だけでない人間的なやりとりによっていろいろな意見に触れると、視野が広がります。視野が広がる、あるいは視点が高まること自体が前向きさに非常に良い影響があったという声も随分頂いています。
岩波:ありがとうございます。本日の講演のように話を聴くこともとても大事ですが、それ以上に体現することに意味があります。小さくてもよいので、何か一つでも行動に移してください。例えば会社に戻って同僚に「今日、こんな話を聞いてきた」と伝えるだけでもよいのです。想像どおりあっという間に時間が過ぎてしまいましたが、前野先生、矢野さん、今日はありがとうございました。