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第14回:笑顔で買い物

中川郁夫 コラム

<はじめに>

一見すると「なんのこっちゃ」と思うタイトルを付けてしまった (笑)。 買い物をするときに店員さんに笑顔で話しかけよう、などという話をするつもりはない。今回も、本連載のテーマである「取引のデジタル化」について紹介したいと考えている。今回の事例は「笑顔があれば (現金がなくても) 買い物ができる」サービスである。

2017年に “Smile to Pay” なるサービスが発表された。サービスの提供主体はAlibabaグループのAnt Financial (旧Alipay) だ。カメラの前で笑顔を見せる (+PINを入力する) だけで決済手続きができるのだという。

(出典) https://moov.ooo/article/5eb9fb5b1b05ee0697dd2c39

中国のキャッシュレスの進歩は圧倒的である。2017年といえば、日本でキャッシュレスが騒がれ始めたころだったろうか。(筆者が「キャッシュレス社会と通貨の未来」の執筆に加わったのが2018年なので、それよりも前ということになる)。Smile to Payは、現金はもちろん、スマホもカードも不要。文字通り「笑顔」で決済することを可能にした。

このサービスの登場は何を意味するのだろうか。今回も、匿名市場から顕名市場へのシフトを踏まえつつ「顔認証決済」がもたらす変革について考えてみたい。

<顔認証技術とは>

本人の身体的特徴を利用する認証技術は多数存在する。一般に生体認証と呼ばれる技術である。指紋認証、虹彩認証、静脈認証、音声認証、DNA認証、他にもいろいろある。顔認証も生体認証の一種で、目や鼻といったパーツの位置や顔の輪郭を画像認識技術によって取り出し、それらの距離や角度、色の濃淡から判断する。

顔認証は既に実用レベルにある。日本では2017年10月から空港における出国審査・入国審査でも顔認証の利用を開始した。2018年には、iPhoneにFace IDが実装され、顔認証でスマホのロック解除が可能になったことも記憶に新しい。既に、さまざまなシーンで顔認証が使われ始めている。

<顔認証決済サービスの登場>

Smile to Payは顔認証技術を応用した決済サービスである。「顔認証技術を用いて、キャッシュレスでの決済 (買い物時の支払い) を可能にした」と考えるとわかりやすい。

2017年、最初に試験的に実装されたのは中国・杭州のKFCである。“健康食”をテーマにしたケンタッキーの新業態「KPRO」では、ユーザーは大型タッチパネルのメニューから商品を選択する。次に支払い方法の選択画面で「Smile to Pay」を選択し、顔認証+電話番号で決済すれば、席に注文した商品を持ってきてもらえるらしい。

中国では顔認証決済が急速に広がっている。Smile to Payに続いて、2018年にはWeChat PayがFrog Payをリリース。既に、中国では1億人を超える人が顔認証決済の利用者として登録しているという。いつもながら新しい技術を取り入れ、便利な社会への変化に柔軟に対応していく様子は中国らしい。

https://www.veritrans.co.jp/tips/column/face_settlement.html

中国ではセブンイレブンなどのコンビニや市中の自動販売機でも顔認証決済が利用できる。実際、筆者は2018年に中国・上海を視察したが、同行者が自動販売機で顔認証決済をしたところを取材させてもらった (笑)。

(筆者撮影) 中国・上海で撮影した顔認証決済機能付き自動販売機

なお、日本国内でも顔認証決済の実証実験がスタートしている。中国ほど本格的に浸透しているとは言い難いが、技術的な実証が進んでいるのは間違いない。ビジネス面を含め、今後の展開に期待がかかる。

<What you have から Who you are へ>

顔認証決済の浸透は顕名市場へのシフトを加速させる。当たり前だが、顔認証決済は「利用者本人」を特定することで、本人に紐付いた決済手続きを可能にする。まさに、個客一人ひとりを特定することを前提とするサービスモデル、そのものである。

これは“What you have”から“Who you are”へのシフトを意味する。これまでは「支払い者が何を (お金を) 持っているか」が決済可否を決めていた。現金取引の基本であり、匿名市場の典型である。一方、顔認証決済が浸透する社会では「支払い者が誰か」で決済の詳細が決まる。そこでは、スマホやカードさえ不要になる。まさに、個客一人ひとりを特定することが取引の前提になる。顕名市場には極めて親和性の高いサービスかもしれない。

<顔認証決済の先にあるもの>

本人であることさえ確認できれば、顕名市場ならではの、個客一人ひとりに特別なサービスを提供することが可能になる。本連載の第8回で紹介したAlipayの胡麻信用を例に考えるとわかりやすい。現在は、スマホで個客を特定し、信用スコアに基づいて、個客一人ひとりにサービスを提供している。今後はスマホさえ必要とせず、顔認証ひとつで個客一人ひとりに特別なサービスが提供される、まさに「顔パス」なサービスができてきそうである。

買い物も「顔パス」になる可能性がある。本連載の第12回では、Amazon Goのレジレスの仕組みを紹介したが、これに顔認証が加われば、入店時の本人確認のスマホチェックが不要になる。個客を顔認証で特定し、顔パスで入店、好きなものを自分の鞄に入れて持って帰ってくるだけで買い物が完了するかもしれない。

<プライバシーの問題>

顔認証技術はプライバシーに関わる問題と切っても切り離せない。技術的には実用レベルにあると言って良いが、運用面・制度面が追いつくにはかなりの時間を要することが予想される。顕名市場自体が、顕名個客に関わる情報を扱うことを前提とするため、プライバシーの扱いは極めてセンシティブなのだが、顔認証技術は、その応用範囲があまりに広く、本人が意識しないうちに個人特定される可能性があるなど、管理・監視や悪用されることへの懸念が大きいようである。中国では急速な技術開発と市場浸透が進んでいるが、民主主義国のテクノロジーカンパニーは (顕名サービスを提供しながらも) 顔認証技術の利用を制限するなど、その応用には慎重な姿勢を見せている。

“顔認識技術を外部に売らないと決定, 悪用を防ぐため – Google”, Techcrunch, December 14, 2018
“マイクロソフト, 警察当局への顔認証技術の販売を拒否”, Reuters, April 17, 2019
“顔認証技術の規制に慎重促す − 業界団体SIAが当局に要請”, Bloomberg, August 19, 2020

<おわりに>

今回は「顔認証」技術を用いたサービスの動向とそれが顕名市場でどんな意味を持つかを考察した。本連載では繰り返し「顕名市場」の到来について紹介している。“What you have” ではなく、 “Who you are” によるサービス提供が浸透していくと考えると、顔認証 (生体認証) は一つの方向性として納得感があり、顕名市場とも親和性が高いと言える。

グローバルにも顔認証サービスの応用・浸透は注目しておく必要がありそうだ。中国市場では急速に顔認証サービスが広まり、浸透しつつある。民主主義国家では社会背景の違いからプライバシーへの配慮が必須であり、顔認証技術の応用には慎重な面も見せているが、運用や法制度の整備と並行して、今後、こうした技術が少しずつ浸透すると思われる。匿名市場から顕名市場へのシフトを後押しする技術として、注目しておきたい。

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