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第42回:「データ戦略と信頼モデルの話(2)」

中川郁夫 コラム

<はじめに>

その昔「ガマの油」を売る行商がいた。その売り方が面白い。Wikipedia に解説があるので、少し長いが引用してみよう。

「香具師は、ガマの油は万能である、と語り、まず止血作用があることを示すために、刀を手に持つ。(中略)このように刀の切れ味を示したあと、切れない部分を使って腕を切ったふりをしながら、腕に血糊を線状に塗って切り傷にみせる。偽の切り傷にガマの油をつけて拭き取り、たちまち消してみせ、止血の効果を観客に示す。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/ガマの油

江戸時代、これで「ガマの油」が売れたらしい。その「口上」は見事なもので、伝統芸能として現在も伝承されているという。落語でも「ガマの油売り」を題材にするものがあるが、やはり見どころは「口上」である。(落語も探して見てほしい、笑)

一方で「ガマの油」を買った人はたまらない。口上に偽りあり。すっかり騙された人もいたことだろう。使ってみると、ただの軟膏であり、刀の切り傷がすっかりきれいになくなる、なんてことがあるはずもない。

 あれ?
 考えてみると、身近に似た話があるのでは?

商品やサービスが想定しているものと違った、という話はよく聞く。期待ハズレ、というヤツだ。現代であれば、誇大広告・虚偽広告として問題視される事案だろう。実は、「ガマの油」と似たような構図は今でも散見されるのではないだろうか。

本稿は顕名市場における「信頼」を考える第一弾である。以下の考察は、顕名市場において「データを用いたサービスが期待通りか」という視点に立脚する。前回 (第41回)の最後に述べた2つの期待のうち、「能力に対する期待」の話である。

<血液検査のベンチャー>

セラノスという企業があった。

 「指先からの血液1滴ですべてがわかる 」

血液検査テクノロジーを掲げ、2003年に創業されたベンチャーだ。血液分析装置の名前は「エジソン」。静脈注射不要で指先からごく少量の血液からデータを取得することで何百種類もの疾病検査が可能、とのコンセプトが大きな注目を集めた。

創業者のエリザベス・ホームズはDNA検査の寵児と呼ばれた。ルパート・マードック氏、ウォルマート創業家、米国政治家をはじめとする錚々たるメンバーからも出資を受けた。セラノスは2014年に4億ドルを調達、時価総額は90億ドルにも達し、ホームズは自力でビリオネアになった起業家の最年少記録を塗り替えた。

ホームズはスティーブ・ジョブズに憧れていたという。服装も、仕草も、言葉も、何から何まで真似た。投資家から資金調達をするために何度も公的な場に姿を表したが、その姿は、女性版スティーブ・ジョブズの登場を印象付けた。

だが、2015年の前後から雲行きが変わってきた。FDA (米国食品医薬品局)、FBI (米国連邦捜査局)の調査が進んでいた。メディア業界では、WSJ (Wall Street Journal)のジョン・カレイロウが独自調査を進め、セラノスが抱える「闇」を明らかにしていく。

https://www.wsj.com/articles/theranos-has-struggled-with-blood-tests-1444881901
https://wired.jp/special/2016/talented-miss-holmes/

結論をいうと、セラノスが公言してきた数々のイノベーションは実現しなかった。同社の技術はホームズのアイデアの域を超えるものではなかった。科学的な裏付けを与える専門家はなく、そのサービスも「検査結果が間違っている」ことが指摘された。

口上は見事だったが実態が伴っていなかった。ホームズの言葉に市場は注目した。だが、科学的・技術的な裏付けがなく、そのサービスは偽りだった。セラノスは「壮大な医療詐欺」として訴えられ、先日 (2022/11/18)、裁判所はホームズに対して禁固135カ月の有罪判決を言い渡した。

<能力に関する期待>

顕名市場のサービスを「能力」の視点で考えてみたい。顕名市場では、個客データを用いて様々なサービスが提供される。それが個客にとって実際に有用であることが期待される。当然だが、提供者の「能力に対する期待」は個客がサービスを利用するモチベーションと表裏一体だろう。

顕名市場において、企業は個客に提供する「体験価値」が科学的・技術的に裏付けられたものであることに説明責任がある。セラノスは個客データから疾病判断を行うサービスだった。その結果が間違っていたことも、科学的・技術的な裏付けが説明できなかったことも致命的だったと言わざるをえない。

利用者の視点についても触れておきたい。顕名市場では、企業が提供するサービスが「能力」が「期待」に沿うものかどうかを利用者自身が見極め、判断する力が必要である。言われたから、人が使うから、ではなく、自ら見て、考えることが求められるのはいうまでもない。

<おわりに>

前回からスタートした本シリーズでは、顕名市場における「データ戦略と信頼モデル」について考察している。顕名市場では企業と個客がデータを共有し、価値を共創することが重要な戦略になる。そこでは「信頼」の関係を構築することは必須である。

信頼を考える上で、サービスに対する利用者の「期待」を理解することが参考になる。前回は「能力に対する期待」と「意図に対する期待」があることに触れ、今回は前者について議論した。後者は「安心」と「信頼」に分類される。

 ・能力に対する期待 (モノやサービスの質、あるいは技術的な視点での期待)
 ・意図に対する期待 (相手が自己利益のために搾取的な行動をとらないことへの期待)
    ・安心 (規律と罰則に基づく安心)
    ・信頼 (人格や関係に基づく信頼)

次回は「安心」について考えてみよう。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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