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第30回:「市場構造の変化とマーケティングの関係(2)」

中川郁夫 コラム

<はじめに>

本連載の記事を書くときは、いろいろと調べ物をすることが多い。ネットを検索したり、手元の本を読んでみたり。参照できる情報が欲しくて新たに書籍を購入することもある。

実は、Amazonで「あなたにおすすめの本」に出てくるタイトルは参考になる。最近購入した本 (勉強した領域) に近く、少し知見を広げるようなテーマの本がいくつか並ぶ。なるほど、こういうテーマで次のネタを考えればいいのか、と気づきを得ることもある (笑)。

Amazonはさまざまなデータを使って商品のリコメンドをしてくれる。本連載の第2回「デジタル化するのはモノではなく体験そのもの」でも紹介したことがあるので、覚えている読者もいるだろう。購入した本の情報はもちろんのこと、Kindleであれば、読書歴や途中で寝落ちした (笑) 情報も参照されているかもしれない。

顕名時代、マーケティング手法は大きく変化した。個客一人ひとりに特別な体験を提供することを主とする顕名市場では、企業と個客の「関係」が更新されていくことが重視される。マーケティングは、その「関係」をつくり、深めていく仕組みとして位置づけられる。 今回は、前回に続いて市場構造の変化とマーケティングの関係について考察する。前回は従来のマーケティングが匿名市場の中でどう変化してきたのかを考察した。今回は、いよいよ顕名市場においてマーケティングがどのように変化しているのかを考えみたい。

<前回の振り返り>

前回はマーケティング1.0〜3.0について簡単に紹介した。以下、超絶簡単に (笑) それぞれの特徴についてまとめる。

  • マーケティング1.0(1900〜1960年代):製品視点
    作れば売れる時代であることを背景に機能と価格を重視した。
  • マーケティング2.0(1970〜1980年代):市場視点
    市場をセグメントに分割した。属性を参照。個客の識別はナシ。
  • マーケティング3.0(1990〜2000年代):ブランド価値視点
    ブランド (or 企業) の社会的責任をメッセージとして打ち出した。

上記の各理論が匿名市場を前提としていることについても触れた。1990年代からネットの普及・浸透によってチャンネルの多様化が進んだが、主要なマーケティング手法は、匿名市場を対象とするマスマーケティングの範囲だったと言える。

<マーケティング4.0 (2010年代)>

マーケティング4.0は「自己実現」に焦点をあてた理論である。心理学者マズローの欲求5段階説は有名だが、その最上位「自己実現欲求」にフォーカスしたともいわれる。(マズローの説は、さらにその上位があるらしい。これは、また機会があれば紹介したい)

マーケティング4.0では、顧客の個客化を通して一人ひとりのお客様を把握し、さらにはファン化を通してリピートや知人への (あるいはネットでの) 推奨という行動につながるような取り組みが重視される。

マーケティング4.0には 3e と 5a のフレームワークが登場する。(コトラーは、4P、3i、3e、5a、etc. など、同じ頭文字の単語を並べて分類するのが得意なようだ、笑)

3e:顧客に提供する価値や顧客とのつながりの深さを表現

  • Enjoyment:喜び
  • Experience:体験
  • Engagement:エンゲージメント

5a:顧客 (個客) の状態や行動の推移を表現

  • Aware:認知
  • Appeal:訴求
  • Ask:調査
  • Act:行動
  • Advocate:推奨

上図はマーケティング4.0を表現するために使われる。右上、すなわち、お客様との関係が Engagement に近づくに従って、さらには、お客様の状態や行動がより深化するに従ってデジタル技術の役割が大きくなってくる。

マーケティング4.0は顕名市場へのシフトと密接に関係する。デジタル技術の登場は、お客様の状態やお客様との関係を理解・追跡することを可能にした。

従来、取引は、お客様の「買う」という行為を重視した。匿名市場では、製品やサービスを貨幣と交換することにより取引が成り立つ。すなわち、交換時点 (= 販売時点:Point of Sales) で、お客様が求めていることを直接的に貨幣価値に置き換えて考えるのが匿名市場の取引である。

体験の時代、お客様が「体験を通して得られる価値」を重視する。モノから体験へのシフトは、単なる商品の販売ではなく、そこで得られる安心・満足・驚き・etc. の様々な感情も含めてお客様が感じる価値が重要な意味を持つ。デジタル技術の発展・浸透が様々な情報を参照可能にしたことで、お客様が得る多様な価値が把握できるようになった。

体験の時代、体験の中には商品 (製品やサービス) の提供も含まれるが、それはお客様が得る価値の一部でしかない。「一人ひとりに特別な体験を提供する」ためにも、顕名個客の考え方に基づいて、一人ひとりの価値を把握することが必要になる。

<マーケティング5.0 (2020年代〜)>

マーケティングはテクノロジーを武器に新たな時代に入った。デジタル技術はマーケティングをどのように変えるのだろうか。

コトラーはマーケティング5.0を次のように定義する。

マーケティング5.0とは、人間を模倣した技術を使って、カスタマー・ジャーニーの全行程で価値を生み出し、伝え、提供し、高めることだ

マーケティング5.0ではデジタルテクノロジーがマーケティング分野で大活躍する。最先端技術を代表する言葉のオンパレードだが、簡単に紹介してみよう。

  • ビッグデータによるデータドリブンマーケティング
  • 自然言語処理(NLP: Natural Language Processing) や XR (X-Reality: VR, AR, etc. の総称)による拡張マーケティング
  • AIによる予測マーケティング
  • IoT(Internet of Things)によるコンテクスチュアルマーケティング
  • OSS(Open Source Software)を使ったアジャイルマーケティング

本連載で紹介した事例でも、上記の技術を応用している例は多い。

Googleの検索連動 (本連載の第22回「広告ビジネスの構造変革と顕名化」)、Facebookの投稿連動 (本連載の第23回「広告ビジネスの構造変革と顕名化 (続)」) による広告の仕組みは、データドリブンマーケティングを実現するプラットフォームとして機能する。

Netflixによる映画のリコメンドや映画製作がデータに基づいて行われている (本連載の第13回「Netflixの強みの本質とつながりの市場」) ことにも注目したい。個客一人ひとりに合わせて興味を持ちそうなサムネイルを使って映画をリコメンドすることはコンテクスチュアルマーケティングに相当するし、AIを用いて映画の視聴予測を行っていることは予測マーケティングに相当する。

Disney MagicBandは電子タグを埋め込んだリストバンドで様々な個客サービスを提供する。好きなキャラクター、友達・家族、誕生日、etc. など多数の情報を参照し、一人ひとりの体験を最大化するエンターテイメントを実現する (本連載の第9回「キャッシュレスの先にある世界観」)。これらはコンテクスチュアルマーケティングに分類される。

顕名市場で先行するデジタルビジネスは、上記、マーケティング5.0で紹介されているコンセプトのどれか、もしくは複数を当然のように実現している。考えてみれば、顕名市場における「一人ひとりに特別な体験を提供」するためには、デジタル技術の活用は必須であり、それらを体系立てて整理したのがマーケティング5.0で紹介されている新時代のマーケティング手法なのかもしれない。

マーケティング5.0に関して、重要な考え方についても触れておきたい。コトラーは技術先行で考えるべきではないと警鐘を鳴らす。マーケティング5.0の基本理念は「技術は戦略に従うべき」であり「マーケティング5.0のコンセプトはツールを問わない」と謳っている。つまり、技術ありきで考えるべきではなく、何のためのマーケティングなのかを軸に置くべき、と考えるのが良いだろう。この考え方は、本連載で紹介する事例にも共通する考え方であり、深く納得する部分でもある。

<おわりに>

コトラーの言葉に興味深い一節がある。「マーケティングは生産物を処分するための技術などではなく、本物の顧客価値を生み出すための活動で、顧客の生活向上を支援する概念でもある」。マーケティングは、(特に日本では) モノを「売るための活動」と捉えられがちだが、コトラーはその本質を顧客価値創造と捉える。

顕名市場へのシフトがもたらすのは個客体験の提供と個客価値の最大化である。顧客価値創造を「個客価値創造」と読み替えて、マーケティング4.0、5.0の考え方を振り返ると、なるほど、顕名市場の体験価値の創造は、マーケティング理論と表裏一体であることが理解できる。市場構造の変化に伴いマーケティングが進化するのも必然なのだろう。

実は、マーケティング理論には続きがある。コトラーは2020年末に “H2H Marketing: The Genesis of Human-to-Human Marketing” と題した新書を出した (邦訳は2021年)。マーケティング1.0〜5.0の続きではなく、新たな理論体系としてまとめたものである。従来のマーケティングは「利益至上主義」の非倫理的な行動によりネガティブな印象で見られることもあった、と認め、新たな時代には “Human to Human” の考え方に基づいて、顧客と価値を共創することを重視すべきと説く。本連載で伝えてきた、個客価値・個客体験を重視する顕名モデルと親和性が高い考え方だと言える。

マーケティング理論は新しいフェーズに進もうとしている。機会をあらためて、最新のマーケティング理論と顕名市場の関係についても紹介したい。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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