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第47回:「顕名化と “学び” の話」

中川郁夫 コラム

<はじめに>

あるところで聞いた言葉が印象に残っている。

 「教える場」ではなく「学ぶ場」を。

「教育」は「教える側」の言葉のように聞こえる。広辞苑によると「教育」とは「教え育てること。望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動」とある。例えば、学校教育をイメージしてみてほしい。大人が「望ましいコト」を定義し、それを子どもたちに学習させることを想定しているように感じるのは私だけだろうか。

今の時代は多様性と個性を重視する。本連載で何度も繰り返してきたテーマでもある。「匿名から顕名へのシフト」は社会に「個性」の考え方を浸透させる。技術の進歩はパーソナライズを可能にした。一人ひとりに注目し、個々人(個客) が特別な体験を積み重ねることが当たり前になる。必然的に、個々人も自らの「個性」を理解し、それを活かすことを意識するようになる。

一方で、「教育」で「個性」を語るのは難しい。前述の「望ましいコト」の中に「個性」を一律に定義できるのだろうか。あるいは、「個性」を考える中で、何が正解・不正解かを考えるべきだろうか。いや、まて。そもそも「個性」は教えるものなのだろうか。

「個性」を引き出すには「学ぶ場」が大事だとされる。本人が主体的に自分自身と向き合い、自分を理解し、自分の個性を見つけ、それを言語化し、活かすことを考える。それは、教えられて身につくものではなく、自らが見つけ出すものだとも言われる。

前回は「顕名時代の教育」について考察した。今回は、もう一歩踏み込んで「学び」についても考えてみたい。なお、今回の副テーマは視点の変化である。「教える立場」から「学ぶ立場」に。ここに匿名から顕名へのシフトを考えるヒントがありそうだ。以下、視点を変えることも意識してみたい。

<DeruQui Project>

DeruQui Project(デルクイ・プロジェクト、以下 DeruQui)は若者の学びの場をつくることを目指している。同プロジェクトがスタートしたのは 2020年。私は発起人、というか、言い出しっぺと言えばよいだろうか。当時、大学生らを対象に、一人ひとりの尖ったところを引き出し、個性溢れる社会を創りたいという想いでプロジェクトを立ち上げた。

 (*) https://www.deruqui.com

DeruQui が掲げるコンセプトは「出る杭が活躍する社会を創る」。参加者一人ひとりの個性に注目し、それを活かす仕組みづくりを目指している。参加者は自分自身に向き合い、自分の考えを自分の言葉で表現し、自分の個性や強みに気づいていく。自己発見・自己理解を経て、個性を活かして社会で活躍することを考えるようになる。

多世代・多様性に「学ぶ場」は DeruQui が目指す姿のひとつである。DeruQui では、メンターとして大人たち(30歳から70歳まで、様々な世界の大人たちが集まる、笑)が一緒に活動するが、大人たちが何かを「教える」ことはない。大人の価値観を押し付けるのもご法度である。大人たちも若者の考えや言葉に気付きを得て学ぶし、多様な参加者が他の参加者の個性や強みに互いに共感して、それを伝える。若者と大人が一緒に「学ぶ場」が DeruQui の最大の特徴かもしれない。

2022年にスタートした高校とのコラボについても紹介したい。DeruQui と都内の十文字高校との共同プロジェクトとして、同校の自己発信コースの生徒 (高校1年生)向けに、年に6回(各2時間程度)のコラボゼミを実施している。DeruQui同様、大人が何かを教えるのではなく、多世代・多様性に「学ぶ場」づくりを重視している。時間数は少ないが、参加する生徒は劇的に変化する。自らがどうありたいかを考え、自分の言葉で伝える。自ら気付き成長する姿は「学び」の意味を考えるヒントを与えてくれる。

 (*) https://sites.google.com/sg.jumonji-u.ac.jp/self-expression-course
 (*) https://js.jumonji-u.ac.jp/news/5993.html

DeruQui で多くのことに気づいた。「教える」のではなく「学ぶ」ことで得られることがたくさんあることもわかった。以下、主要なものを3つほど紹介したい。

自分自身と向き合うことが「成長」につながる
DeruQui は「答えのない問い」に取り組む。参加者全員が「自分はどう考えるか、それはなぜか」を自分の言葉で語る。自分自身と向き合い、他の参加者との違いに触れることに多くの気付きがあり、それが「成長」につながる。(正解のある問いに答える、とは違う思考が必要になる)

自己理解・自己発信は「自己肯定感」につながる
自分の考えを自分の言葉で語る経験は「自分が何者か」を考えることにつながる。人と違うことを理解し、そこに共感の言葉をもらうことで、自分が自分であることを受け入れられるようになる。(周りに合わせ、人と同じ思考や言動を求められる社会とは真逆)

多様性と個性を前提とするチームは「共創」と「創発」に溢れる
自己発見・自己理解を経て自分の個性を言語化した参加者は、他参加者の個性を受容し、共感を前提として「共創」の意識を持つようになる。また、個性の違う参加者間で、それぞれの個性を活かした「創発」が始まる。(全員が平均的に優秀で、言われたことをするチームとは大きく異なる)

<匿名から顕名へのシフトに関する考察>

ここまでの話を参考に、顕名市場を考える「視点」についても考えてみたい。本連載で繰り返し紹介してきたように、顕名市場では「個客一人ひとりに特別な体験を」と考える。そこでは「視点」の持ち方が重要になる。

例えば、わかりやすく「リコメンド」の話で考えてみよう。事業者が個客に「オススメのモノ」を紹介するのは、教師が生徒に「望ましいコト」を教えることに似ている。事業者側の視点で個客の行動を誘導することは情報統制・行動修正(情報を制御することで行動を意図した方向に誘導すること)にもつながる。そこで生まれる価値は、事業者視点の世界観を超えることはない。

一方、個客が自ら考え、自らの価値観で選択し行動することは、生徒一人ひとりが主体性を持って学ぶことに近い。事業者が(大人たちが)支援に徹し、個客の(子どもたちの)視野や可能性を広げることや、個客(子どもたち)の主体的な選択・行動の幅が、常識・予想を超える「新たな価値の共創」につながる。

顕名市場では、個客視点や個客の主体性が「価値共創」につながる重要な要素である。

<おわりに>

冒頭で紹介したのはアカデミーキャンプの代表の言葉だった。

 「教える場」ではなく「学ぶ場」を。

アカデミーキャンプは2011年の東日本大震災と東電福島第一原発事故をきっかけとして、福島のこどもたちのためのキャンプとしてスタートした。「世界を変える力を、こどもたちに。」をコンセプトに掲げるその取り組みはこどもたちが主役であり、そこに、こどもたちを支援する大人が集まる。

 (*) https://academy-camp.org/

アカデミーキャンプが引用している言葉を紹介したい。

「世の中の常識に従ったことで世界を変えた人はいまだかつていない
(No one has ever changed the world by doing what the world has told them to do)」

教育は大きく変わりつつある。大量の労働者が必要とされた「匿名」の時代から、一人ひとりが個性を活かして活躍する「顕名」の時代へのシフトが進む。教える側の視点も大切だが、学ぶ側の視点がさらに重要になる。

教育は多様化する。従来の教育は今後も必要だろう。一方で、大人が考える「望ましいコト(≒ 常識)」だけでは今の世界を変えることはできない。子どもたちが自ら感じ、気付き、考え、そして行動することが世界の可能性を広げていくことにつながるのではないだろうか。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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