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第18回:「デジタルで変わる教育のカタチ」

中川郁夫 コラム

<はじめに>

高校のとき、数学に熱中していた。国語や社会の時間も数学に取り組んだ。人の3倍は時間を使っただろうか。結果、大学入試の共通テストで数学は満点。世界史は1問もわからず、100点満点中28点だった (4択式なので、爆)。

一人ひとりに合わせた学びがある。考えてみれば当たり前の話である。好き嫌い、向き不向きがある。その人の得意なところを伸ばすのは、本人も熱中できるし、楽しいに違いない。

学びが個性を形作る。私の場合は、圧倒的に数学に時間を使ったことで、数学だけで大学に進学し、そのまま数学科を卒業した。論理的思考など、数学を背景にした考え方やものの見方は今でも大いに役にたっている。人にオススメできる学びのスタイルではないが (笑)、自分にとっては充実した学生時代だったと思っている。

でも、その時代、好きなことに熱中し続けるのは大変だった。見えるのは結果だけである。試験で100点以上は取れないので、必然的に「できない」ところが目立つようになる。国語や社会をバッサリ捨てたことで、先生からも友達からも、変なヤツと言われ続けた。

デジタル時代、個性を引き出し、強みを活かす教育に期待がかかる。試験の結果だけではなく、学びの過程も記録され、データ化されることで、一人ひとりに最適化された (個別最適) 学習が可能になると言われる。私の例は極端すぎるとしても (笑)、一人ひとりの興味や熱中度を把握し、一歩踏み込んだ、より深い学びを与えることができれば、個性や強みを引き出せることは想像に難くない。

今回は、デジタルで変わる教育のカタチについて考えてみたい。

<デジタル教科書ではなく、教育のデジタル化を>

デジタル=最先端だと考えているなら大きな間違いである。教育の分野で言えば、デジタル教科書が注目を集めているが、大事なのは教科書をデジタル化することではない。教育そのものをデジタル化することが重要である。

教科書のデジタル化は「媒体」のデジタル化である。本連載の第2回でデジタル教科書について触れた。文部科学省は、同省のホームページ (*1) で、デジタル教科書を「紙の教科書の内容の全部をそのまま記録した電磁的記録である教材」と説明している。この定義に従うと、学ぶ内容が変わるわけでも、学ぶ方法が変わるわけでもない。内容を記録するのが紙から電磁的媒体に変わることがデジタル教科書の意義らしい。

(*1) https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/seido/1407731.htm

一方、教育のデジタル化は「体験」のデジタル化である。本連載の読者であれば、その意味は理解できるだろう。顕名個人との接点をデジタル化し、個人の体験そのものを記録、データとして参照することができる。学びのシーンであれば、どんな内容に興味を持ったのか or 持たなかったか、どんな内容であれば真剣に学び、次々と進んで行けるのか、など。設問と回答があれば理解度も把握できる。これまで、試験結果で表面的にしか見えなかったものが、学びの過程をデジタル化することで、細かく、一人ひとりにあわせた学びの機会を提供できる、と考えるのは自然な話である。

教育のデジタル化 (= 体験のデジタル化) の本質は匿名から顕名へのシフトである。従来の教育では生徒が誰かは意識しない。共通の教科書を配り、同じ進度で、同じ内容を学び、同じ試験問題が課される。もちろん、現場の先生方が一人ひとりの生徒に対して丁寧に接しておられるのは知っているが、もともとの仕組みが「匿名」なのは否めない。一方、デジタル時代に注目を集めるのは、一人ひとりを「顕名」で特定することから始まる。学びの体験そのものを記録、データ化することで、興味や個性にあわせた学びの機会を提供できると期待されている。

<アダプティブ・ラーニング>

アダプティブ・ラーニング (適応学習) は、学習者ひとりひとりの進行度・理解度にあわせた学びの機会を提供することを指す。顕名を前提とする学びの仕組みであり、デジタル技術を教育に活用するEdTechのひとつとして注目されている。既に、多数のサービスが登場し、教育現場でも徐々に浸透しつつある。以下、いくつか代表的な例を紹介しよう。

Knewton (ニュートン, *2) は、アダプティブ・ラーニングのパイオニア的存在である。人間の学習の仕組みや学習者本人および他の学習者の学習行動データなどをもとに、学習者ひとりひとりに合わせた学習ステップを提供する。

(*2) https://www.knewton.com

Drarmbox (*3) は算数・数学に特化したアダプティブ・ラーニングサービスである。人工知能が学習者ひとりひとりの理解度を判断し、学習の進行度や理解度に合わせたヒントやアドバイスを提供する。また、学習者の苦手意識をやわらげ理解度を深めるため、グラフィックを活用して算数・数学の概念を視覚的に表現するという。

(*3) http://www.dreambox.com/adaptive-learning

国内ではClassi (*4) が有名である。小学校から専門学校まで利用可能な学習支援プラットフォームとして位置づけられる。アダプティブ・ラーニング機能は高校・中高一貫校・専門学校を対象としており、学習者は自身の学力やWebテストの結果に見合ったレベルのWebドリルや学習動画で学ぶことができるという。

(*4) https://classi.jp/about/

他にも、デジタルの特徴を活かして、学習意欲を高める工夫をウリにするサービスも多い。例えば、すらら (*5) は動画配信・ゲーム・問題集を組み合わせたオンラインアニメーション教材を提供する。キャラクターを使った対話型学習、学習者のレベルに合わせたオーダーメイド出題、問題を解いてライバルより高い得点を取るゲームイベントがあるという。

(*5) https://surala.jp/

デジタル時代、学びは匿名から顕名にシフトする。アダプティブラーニングはその代表的な学びの方法である。匿名の大衆に向けた教育ではなく、顕名の一人ひとりに合わせて最適な (個別最適化された) 教育機会を提供する、ことはデジタル時代の必然とも言える。

<個性の時代の学び>

「一人ひとりに合わせた最適な学び」を考える上で「最適」の考え方が重要な意味を持つ。教育の場面で「最適」を考える上では、教育を取り巻く価値観の変化を理解しておくことが必須であろう。

高度成長期、平均的でバランスの良い優秀な人材が求められた。大量生産・大量消費を背景に、誰でも均一な品質でモノが作れることが必要とされた。言われたことをミスなくこなす優秀な労働力を輩出するため、教育は、平均的に優秀な人材を育てたと言われる。この時代、得意なことを伸ばすよりも、苦手を克服することが強いられた。(私が変な人と言われ続けたのは、苦手を克服せずに「捨てた」からである)

飽和の時代、オリジナリティや新しい価値を生み出す人材が求められている。現在は、個性を重視し、創造性が発揮されることが是とされる。人と違うことが個性であり、教育は、得意なことをとことん伸ばすことを重視する。苦手なことよりも、興味のあること、強みが発揮できるところを引き出すことが鍵である。(私は、こっちを地で行っていたようだ、笑)

個別最適と聞いて上記のどちらをイメージするだろうか。社会環境の変化は教育を取り巻く価値観に大きな変化をもたらした。今の時代の価値観を前提に、デジタルがもたらす教育の未来を考えていきたいものである。

<おわりに>

今回は教育分野でも匿名から顕名へのシフトが進んでいることを紹介した。世界を見渡すと、アダプティブラーニングをはじめとして、さまざまな仕組みが考えられ、顕名を前提に、一人ひとりの個性・強みを引き出す教育が浸透しつつある。日本では、まだまだ浸透に時間がかかりそうなのは悩ましいが (笑)、大局的には、この流れが浸透することは間違いないだろう。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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