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第50回:変化を捉える視点

中川郁夫 コラム

<はじめに>

ある経営者の言葉が印象に残っている。文脈は DX(Digital Transformation)だった。
 「現事業の収益性を上げることが最優先なんだ。
  デジタルツールを導入して自動化すればコスト削減が可能だろう?」

別の経営者の言葉も紹介しよう。同じく、文脈は DX だった。
 「デジタルが浸透するとモノの見え方が変わるよね。
  新しい『価値』の考え方が生まれると思うけど、どうだろう?」

上記の2つには視野と時間軸に差がありそうだ。前者を要約するとこんな感じだろうか。
 「今の事業を前提に、直近の課題として、そのやり方を工夫したい」
一方で、後者は次のように考えている。
 「社会の変化を前提に、将来、新しい価値を提供したい」

別の表現で説明してみよう。前者は次のように意訳できる。
 「自分たちが現在提供している商品・サービスは価値があるので、
  その提供方法(製造・流通・販売・etc.)を改善する」
一方、後者の意図は次のような感じか。
 「社会が求める価値が変わることを前提に、
  自分たちが提供すべき商品・サービスを新たに創り出そう」

上記の2人の経営者の言葉を正誤・善悪で語るつもりはない。経営者の課題感はそれぞれだし、取り組みも多様である。一方で、モノゴトをどのような視点から考えるかで次のステップがまったく違ってくる、ことに気づけたのは大きなヒントだった。

今は「変化の時代」と言われる。変化の時代に「変化を捉える視点」は重要な意味を持つ。
本連載の「中締め」の意味で、今回は「変化を捉える視点」を意識しつつ「匿名市場から顕名市場へのシフト」を復習してみたい。

<キャッシュレスがヒント>

筆者が「匿名市場から顕名市場へのシフト」に注目したのは2016年頃だった。世の中でキャッシュレスが注目され、Amazon GO(第12回)などのレジレスの仕組みや、ローソンの無人レジ「レジロボ」などが登場したころだ。当時を振り返ってみたい。

日本のコンビニは無人レジに注力した。背景にあったのは人件費削減だと言われる。他にも会計効率化、現金処理コストの削減などのメリットも説明された。

日本のコンビニは「モノとカネを交換する」という従来取引モデルを引き継いだまま「効率化・コスト削減」のために無人レジを導入した。本連載の言葉で説明すると、匿名の構図を引き継いだとも言える。それは「現金」を扱う仕組みを残したことからも明らかだろう。

一方、Amazon GOはお客様を特定することを前提とした。もともとAmazonはIDで個客を識別し、個客ごとに最適化されたリコメンドをすることが強みだった。

Amazon GOでは「個客の買物行動を把握」し、Amazonの他のサービス同様、個客の行動履歴が記録・蓄積されていく。個客に紐づくデータ・情報があるからこそ、個客一人ひとりに特別な体験が提供できる。Amazon GOが「社会の変化を前提に、個客に体験を提供することに価値を見出す」ことを意図していることは、Amazon のビジョンステートメントにある “find and discover anything” という言葉からもうかがえる。Amazonにとって本連載のテーマである「顕名」は必然だったと言える。

キャッシュレスの先にどんな世界を思い浮かべるか。今の事業を前提にやり方を工夫するのか。社会の変化を前提に新しい価値を模索するのか。「顕名化」に挑戦した事業者は後者の視点に立っていたのだろう。

<製品やサービスも>

顕名化を前提とする商品やサービスも多数紹介してきた。

例えば、既存ホテル業界とAirbnbの比較は興味深い。いずれも、デジタルをうまく活用しているが、前提となる視野と時間軸は違う。以下では “Stay” と “Belong” の2つの言葉を引用しながら解説してみたい。

既存ホテル業界はデジタル化の波に乗ってさまざまなサービスの向上を図ってきた。ネットやスマホで検索・予約・決済は当たり前になった。内部の情報共有やシステム化も必然だろう。可視化・自動化・効率化・コスト削減など、デジタルが活躍している。

既存ホテル業界は「宿泊」がサービスの主である。英語では “Stay” と表現される。提供するのは部屋であり、そのために事業者はホテル設備を有し、ホテル従業員を雇う。設備産業の一種であり、その回転率が利益構造に大きく影響する。デジタル化が進んでも、既存ホテル産業の構図は変わらない。

Airbnbは「空間のシェア」をサービス化した(第15回)。個人が有する資産を必要に応じて「シェア」するシェアリングエコノミーを牽引したとも言われる。Airbnb自身はホテル設備もホテル従業員も持たない。代わりに(?)、世界中に400万人のホスト(部屋を貸したい個人)が、合計560万部屋を登録している。

Airbnbは「マッチング」がサービスの主である。注目すべきは Airbnb のミッション・ステートメントにある “Anyone can belong anywhere” という言葉だろう。”Stay” ではなく ”Belong”。彼らが注目するのは「部屋」ではなく利用者の「体験」である。Airbnbはホストが提供する多様で多彩な部屋と、個客(ゲスト)一人ひとりの要望・趣味嗜好をマッチングし、その体験を創出する。顕名サービスとして注目すべき事例である。

スマホやネット浸透の先にどんな世界を思い浮かべるか。今の事業を前提にやり方を工夫するのか。社会の変化を前提に新しい価値を模索するのか。ここでも、後者の視点が「顕名化」につながっていることがわかる。

<人々の価値観にも波及>

顕名化は人々の価値観にも広がりつつある。わかりやすい例は、個性や多様性を重視する社会的風潮かもしれない。教育(第46-48回)や仕事の仕方(第49回)も変わってきた。一人ひとりの個性や強み・生きがいを大事にするようになってきたことにも頷ける。

教育分野で推進されたのは「デジタル教科書」だった。「一人一台タブレット」を掛け声に、既存の教科書の内容を表示することができる電子機器(文部科学省による定義)の導入が進む。だが、デジタル教科書は紙の教科書が電子機器に変わるだけであり、教育の内容やそこでの価値観が変わるものではない。デジタルをツールとして使うだけ、とも言える。

一方、探究型教育や自己表現・自己発信などの新しい取り組みも始まっている。広島県の教育改革、都内の十文字高校の新設コースなど、挑戦的な例は多い。これらの挑戦的な例に共通するのは、生徒一人ひとりの個性や強みを伸ばそうとする考え方だろう。大人が良いと思うものを押し付けるのではなく、生徒一人ひとりが自ら自分と向き合い、自分のあるべき姿を考え、発信していく。これも顕名化の考え方が浸透してきた例と言える。

教育の未来にどんな世界を思い浮かべるか。今の教育を前提にやり方を改善するのか。社会の変化を前提に新しい教育の価値観を模索するか。後者の視点が「顕名化」と親和性が高いのは言うまでもない。

<おわりに>

本連載も第50回を迎えた。これまで、多数の事例を参照しながら「顕名化」の考え方について考察してきた。読者の方から、自分のビジネス・活動でも顕名化を考えてみたい、という声も聞く。そのヒントが「変化を捉える視点」にあることを本稿で紹介した。

今は「変化の時代」と言われる。ここ最近、変化が速く・大きくなってきていると感じる。変化にどんな意味を見出すか。変化の捉え方ひとつで、次に大きな「機会(チャンス)」が見つかるかもしれない、とワクワクするのは私だけだろうか(笑)。

今、さまざまなところで驚くべき構造変革が始まっている。本連載では、これまで「匿名市場から顕名市場へのシフト」をテーマとしてきたが、今後はさらに話題を広げて(ついでに連載タイトルも更新して、笑)、我々が直面する変化とそのインパクトについて、独自視点で(かつ、面白おかしく、笑)紹介してみたい。

※本内容の引用・転載を禁止します。

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