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第11回:who, when, where, … 顕名を前提とする鍵の仕組み

中川郁夫 コラム

<はじめに>

私が学生のころ (今から考えると何十年も前か、笑) の話である。一人の知人が言っていたことが興味深かった。一人暮らしだった彼の部屋に、よく彼女が遊びに来たと。合鍵を渡して部屋を片付けてもらったり、手料理を作ってもらったり。まぁ、結構な話である。

ところが、ちょっとした心配事があるとのこと。悩ましいのが、別れて次の彼女を作ったときなのだそうだ。合鍵を渡してあるので、あるとき突然部屋にきて、、、、なんてことにならないかと気にしていた。なかなかのプレイボーイ (という言葉も、最近では死語かもしれないが、笑) だったようで、いくつも合鍵を作ったらしい。

考えてみると、昔ながらの鍵の仕組みは極めてシンプルで、錠とそれを開閉するための鍵の組み合わせが全てである。部屋の入り口に錠をつけたら、それに対応する鍵を持っているかどうかで、その部屋に入ることができる (錠を開けることができる) かどうかが決まる。合鍵は、オリジナルの鍵となんら変わらず、単なるコピーである。

最近は「スマートロック」と呼ばれる仕組みが注目を集めている。スマホを近づけることで解錠される仕組みで、デジタル技術を活用した新しい錠と鍵である。とっても便利らしいのだが、さて、どう便利になったのだろう?

<スマートロックの登場>

スマートロックは、物理的な錠にスマホを近づけることで開けるのが一般的である。例えば、ドアについている昔ながらのサムターン(室内側の鍵のツマミ部分) にちょっとした装置をつける。その装置にスマホを近づけると、その装置がスマホ内に保存された電子的な鍵情報を確認し、サムターンを回して物理的に解錠する。

NinjaLock M(株式会社ライナフ)

スマートロックは「鍵のデジタル化」と解釈されることもある。確かに、鍵としては昔ながらの物理的な仕組みを残しているが、電子的に保存された鍵情報を、電子的に認証して解錠することを考えれば、その表現は納得感がある。

ポイントは「鍵のデジタル化」は物理的な鍵が電子化されただけではない、ということである。従来のアナログの世界では、錠と鍵の単なる組み合わせで解錠可否が決まった。合鍵もオリジナルの鍵となんら区別はなかった。対して、スマートロックでは、はるかに柔軟かつ動的な解錠可否の判断が可能になった。それも、単なる電子化ではなく、おそらく錠と鍵の考え方を変えるレベルで、である。

まず、デジタル技術を前提として、電子的な鍵はすべて一意に識別される。オリジナルの鍵と合鍵 (という概念を超越しているが) を区別するし、誰が、いつ、どの部屋・どの場所の錠を開けたかも記録される。(物理的な鍵では、記録すらできなかった)

「誰が」「いつ」「どの部屋を (どの錠を)」開けることができるのかを柔軟に設定・判断することもできる。前述の装置はネットを介してスマートロックの制御システムと連携し、ある錠 (部屋を特定) を誰が (人を特定) いつ (時間を特定) 開けることができるかを動的に制御することができるし、利用者がその設定を変更することも容易である。例えば、ある部屋に指定の時間だけ有効な鍵を設定することもできる。流行りの Airbnb のような民泊のサービスでは、特定の日だけ (ある日の午後から翌日の午前まで) 有効な鍵を設定したい、というニーズもあるだろう。貸し会議室などでも、指定の時間だけ有効な鍵が設定できれば、簡単に部屋の時間貸しなどが可能になる。

設定を無効にすることも簡単である。スマホを無くしてしまったら、当該スマホに記録した電子的な鍵情報を無効にすることもできる。そう。昔の彼女に渡した合鍵を、設定ひとつで「無効にする」なんてことも朝飯前である (笑)。

<鍵のデジタル化の意味>

これまでは、物理的な錠と鍵の組み合わせは「ある空間へのアクセス可否」を制御していた。つまり「鍵」を持っていることが、指定された空間を使用する権利を意味していた。注意が必要なのは、鍵を「持っていること」が重要であり、その鍵を持っているのが誰かは関係ない。空間へのアクセス可否は “what you have” だけを見て判断された。

スマートロックでは「誰が」を最初に判断する。誰が、いつ、どの空間・どの場所にアクセスすることができるのかを考えて、柔軟かつ動的に、その可否を判断する。”who you are”、すなわち、個人を特定し、紐づくさまざまな情報 (主としてアクセス可否の情報) を参照して空間・場所の利用可否を決定する。

本連載のメインテーマである「匿名取引」から「顕名取引」へのシフトの視点で考えてみよう。アナログな鍵は「誰か」に関わらず「鍵を持っているかどうか」で空間へのアクセス可否が決定される「匿名取引」である。一方、スマートロックは最初に「誰か」を特定することが前提であり、さまざまな条件を加味して空間へのアクセス可否を決定する「顕名取引」だと言えそうだ。

蛇足ながら、企業での鍵のデジタル化についても触れておきたい。スマートロックに先行して、1990年前後から、電子タグなどを利用したカードキーなどの電子錠を使う事例が企業などで広がった。本質的に、これらの電子錠もスマートロックと同様の変革をもたらす。企業などでも、入退室管理・記録などで用いられるケースは多い。

スマートロックは一般家庭、賃貸住宅、あるいは古い建築物であっても電子的な解錠を可能にした。鍵のデジタル化を圧倒的に身近なものにし、個人であってもそのメリットを享受できるようになったことに大きな意味があるといえる。

<スマートロックで広がる世界観>

鍵のデジタル化がもたらす新しい世界観を考えてみよう。以下、錠と鍵の関係が「匿名」から「顕名」にシフトすることによって何が可能になるのか、という視点で考察する。

ライナフは NinjaLock というスマートロック製品を提供する。スマートロックの特徴を活かして、賃貸をはじめ分譲や戸建てなどの住宅市場に大きなイノベーションを生み出すベンチャー企業である。

同社は「スマート内覧」と呼ばれるサービスを提供する。賃貸住宅を契約する際の「内覧」というステップは、従来、不動産会社の人に同行してもらう必要があったが、スマートロックを使うことで、借り手の好きな時に、自由に内覧できるようにした。

仕組みは前述の通りである。スマートロックを使うことで、誰が、いつ、どの空間・どの場所にアクセスできるかを簡単に制御できる。目的の部屋に関して、特定の時間帯に借り手がアクセスできる設定をしておくだけで、不動産会社の担当者は現地に同行する必要はない。記録から内覧の有無を確認し、内覧が終わったところで電子的な鍵を無効にすることも容易である。当然、合鍵を作られるという心配もない。

スマートロックは不動産業界の構図を変える可能性を秘める。従来の不動産業では、担当者の同行を必要とする内覧と、人手を介した契約手続きが「スケール」上の最大の問題とされていた。一方、スマートロックで内覧が自動化され、今後、契約の電子化が進めば、不動産業は「アナログ」なビジネスではなく、デジタルプラットフォーマーが主なプレーヤーになる可能性は十分にあるだろう。

<おわりに>

今回はスマートロックを取り上げ「鍵のデジタル化」とその意味するものを考察してみた。本連載で何度も紹介してきた通り、モノを起点に考える「匿名取引」と、ヒトを特定し、紐づくさまざまな情報を参照することで一人ひとりにあわせたサービスを提供する「顕名取引」の違いが、ここでも見られた。

スマートロックは、単に物理的な鍵が電子化されるだけではない。その仕組みがデジタル化されることによって、例えば、不動産業などの業界構造を大きく変える可能性を秘める。今回は NinjaLock が狙う賃貸住宅市場の構造変革について紹介したが、応用できる業界、分野は限りなく広がる。同社の、あるいは、スマートロック市場の今後の展開が楽しみである。

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