Jライブラリー

第1部 基調講演

ジンテック セミナー

両利きの金融行政

金融庁 監督局 銀行第二課長 新発田 龍史 氏

倍々ゲームで変化が起きる時代

今日は金融庁においていわば現場監督の立場の私が、どんなことを考えているのかをお話ししていきたいと考えています。まず初めに、いまの変化についてです。VUCA(ブーカ)の時代と言われて久しいですが、1年前には政治が、金融が、まさかこんなことになっていることを予測している人はいなかったのではないでしょうか。そういう意味で“予測不可能”という言葉は非線形というか、将来は過去の延長にあるものではなく、唯一の解が存在しているというわけでもないというのがこの時代の特徴だと感じています。また、いろんな要素が絡まり合っていて、複雑(コンプレックス)であることも特徴だと思います。ある要素が他の要素に影響し、結果的に従来とは異なった帰結をもたらすということですね。そういった変化のドライバーは技術革新です。ムーアの法則によれば半導体回路の集積密度は1年半~2年で2倍に倍増しています。チェス盤の法則あるいは曽呂利新左衛門の逸話では物事は倍々ゲームで進んでいきます。技術革新において、2000年代の後半はチェス盤のちょうど半分を超えたところと言われていましたが、2021年時点では京の単位で倍々ゲームが起きている。いまはそういう世の中です。

動かないことはリスク

ルイス・キャロルは『鏡の国のアリス』の中で「この世界で、同じ場所にとどまっていたいのなら、力の限り走り続けなさい。どこか違う場所に行きたいのなら、その倍の速さで走らなければいけないよ。」と言っています。京都にある退蔵院の松山大耕さんという方も同じようなことをおっしゃっていて、“不動心”という言葉には2つの意味のあるというお話をされています。川の上に船を浮かべ「動くな」といったとき、本当に動かずに何もしなければ流されてしまう。そうではなく「緯度経度をそのまま維持せよ」と理解したならば、上流に向かって櫓をかいて流されないようにするはずだと。すなわち、ずっと動き続けなければいけないということです。京都にある伝統的な企業が長く持続できている秘訣だと思います。周囲の環境が大きく変化していく、指数関数的にテクノロジーが進んでいくいま、何もしなければどんどん下流に流されていく。これまでは動かないことをリスク回避と捉えてきましたが、いまは動かないことはリスクになるのです。

地域経済における地域金融機関

地域金融機関を取り巻く環境は非常に厳しいと言われていますが、地域金融機関は地域における多くの企業にとってメインバンクであり、非常に大事な役割を果たしています。ですから、地域金融機関なくしては地域の課題は解決できません。地域経済をみると人口減少という避けがたい構造的な要因があり、先行きについてはいろいろと不安があります。一方、地域銀行の経営状況をみると、低金利が長期化し、利ざやが縮小していく半面、足元の健全性という意味では特に問題はありません。ここまでの話は様々な講演でよくきくものだと思いますが、今日はさらに長期のトレンドを見ていきたいと思います。金融、あるいは銀行は大変だといわれますが、部門別の資金過不足で見ますと、既に90年代の後半から非金融法人の金余りは始まっていました。無借金企業の割合も、四半世紀前には15~16%だったものが、いまでは中小企業も含めて3分の1を超えています。一方、非金融法人の付加価値の中で、銀行への利息として払われたものと株主への配当として支払われたものを比べると、2000年代半ばには配当の割合が高くなっています。昔はメインバンクシステムとか言われていましたが、デッドからエクイティによるガバナンスに変わっているということですね。ですから、預貸率の低下についてはそういった足元の環境を念頭において捉える必要があります。

顧客ニーズは多様化している

先ほどの橋本さんのお話にもありましたが、お客さまのニーズが無くなっているのかというと、決してそうではありません。金融のニーズは少ないのかもしれませんが、非金融のニーズにはさまざまなものがある。販路開拓や人材紹介。さらには事業再生、事業承継といった課題もあり、しかも多様化しています。そういう意味で、ニーズはなくなっていないと思うのです。自分事化という意味では、そういった課題を発見し、理解してくれる金融機関こそが、お客さまと良いリレーションが構築できているということです。戦時中、アメリカにエイブラハム・ウォールドという学者がいました。選択的バイアスあるいは生存者バイアスという話の中でよく出てくる方です。どうすれば無事に爆撃機が帰還できるのかを検討した際、多くの人が帰還した飛行機の被害が集中している場所(図の赤いところ)、要は撃たれているところを強化すべきだと言いました。ところがウォールドは撃たれていない白いところこそ補強すべきといいました。そういうところを撃たれたら、帰ってこられないということなんだと。ですから、翼のエンジンの周り、人が乗っているところ、あるいは尾翼の付け根のところ。こういうところを補強すべきだと主張しました。

金融機関は潜在的な顧客ニーズとして、この赤のところ、撃たれているところを深掘りしようとしているのではないかと思うのです。その人たちにお金を貸す、投信を売る、保険を売るということを繰り返していても、本当はしょうがない。例えば無借金企業にこそ目を向ける必要があるんじゃないのでしょうか。

地域金融におけるイノベーション

われわれは地域金融機関に対して様々なイノベーションの創出を期待しており、チャンスがあると考えています。またそれに対し、経営基盤を強化するためのさまざまな手を講じてきています。経営統合といった経営基盤の強化もありますが、業務範囲の規制緩和という側面では、不動産の有効活用、人材紹介、地域商社、あるいは事業再生などに対して環境整備をしてきました。5月の銀行法の改正によって、デジタル化や地方創生についても業務として行えるようになっています。実は金融機関で様々な業務ができるのです。新しいこと、今までになかったことをやる時に、先例はありません。ですから「先例がないからやりません」はやらない理由にはなりません。「どういうものだったらやれるのか」をいまいちど見直してよく考える必要があります。監督指針にはいろいろなことが書いてありますが、いつの間にか監督指針が検査マニュアルと同じようなボトルネックになっていないかという懸念をもっています。ですから、改めて“規制の趣旨”を考える必要があります。銀行業は免許業種で、その裏返しとしてやってはならないことが定められています。それが“他業禁止”という規制ですが、その“他業禁止”はどういう趣旨なのか。例えば「銀行経営の健全性の維持」というものがありますが、これはリスク管理の話です。リスクをどうコントロールするかという視点であれば0か1かという話にはなりません。現在の環境下における両利きの地銀経営では、銀行高度化等会社を作っていただくとか、預貸だけではなくさまざまなことができます。いろんな選択肢の中から好きなもの、自分たちにフィットするものを使って創意工夫を発揮してほしいと考えています。

いまの組織風土はイノベーションを生むのか

いまの銀行の組織文化は、これまでの進化には適していましたが、イノベーションを生むための土壌という点ではどうでしょうか。銀行だけでなく、日本の組織全般の話なのかもしれませんが、アジャイル、多様性、オープンといった、イノベーションに必要な要素とは相いれないのではないのかと感じています。また、銀行というのは非常に大きな、あるいは強い組織ですから、ともすればいろんなものが全て銀行色に染まってしまう。銀行のモノカルチャー化からどう脱却していくのかも大きな課題になっていると思います。経営学者の野中郁次郎先生が、日本の組織の三大疾病としてオーバー・アナリシス、オーバー・プランニング、オーバー・コンプライアンスを挙げていらっしゃいます。オーバー・プランニングは、変化が常態化している、正解のないVUCAの時代において、精緻な分析や計画をつくる意味がどこまであるのか。中期経営計画にはどこまで意味があって、どこまで守っていく必要があるのかという話です。条件が変わればプランは変わっていきます。必要なのは、状況が変わったときにそれに速やかに対応していくアジャイルさです。イノベーションを育むにはそれに適したカルチャーというものがあるのです。金融機関におけるオーバー・コンプライアンスといえば、「リスク管理のコンプライアンス化」が懸念されます。新しいことをやりたいときに、他業禁止に引っ掛かるのではないかという相談を受けることがありますが、ちょっとニュアンスが違うと感じることが少なくありません。例えば、銀行の店舗でコロナ禍で困っている取引先の商品などを販売したり、場所を貸したりするような話。それが物販になるんじゃないかと気にして、やっちゃいけないんじゃないかという相談があるんですね。皆さん、「どこが?」感じると思いますが、実はその辺によく転がっている話です。オーバー・コントロールは、銀行目線での過度な管理というか、銀行監督の物差しに慣れきって、いろんなところで流用をしてやしないかということ。例えば第三者に外部委託をするときの管理の目線と、フィンテックと協業するときの目線は異なるはずですし、プラットフォーマーが出てきたときに、銀行が子会社に対する委託のようなコントロールをできるわけがない。でもそれが必要とされているのではないかと何となくみんなが思っている。端的に言えば、私どもの態度が金融機関の職員の思考にも影響しているような気がする。あるいは、そういう可能性があるのではないかと考えています。

ノルマは肉体労働における基準量

対話に話を進めます。経営陣は「地域のために」「顧客本位」と言っているのに、現場で行われているのは「自分本位」の「お願い営業」になっていないでしょうか。経営陣がいくら言っていても、実際には販売ノルマに追われ、お客さまの話を聞けていないという話をよく聞きます。先ほど橋本さんのお話でも出てきましたが“ノルマ”は、戦後、シベリアに抑留されていた旧日本軍人が持ち帰った言葉です。英語でいう“ノーマル”と同じで「労働の基準量」というのが本来の意味です。また、ノルマの対象は基本的に肉体労働で、ソ連でも頭脳労働あるいはオフィスワーカーはノルマの対象にはなっていなかったというのが当時の調査でわかっています。未だにノルマが必要だという金融機関もあるらしいですが、金融機関は強制収容所、行員は囚人、経営陣は看守なんでしょうか。当然、そんなところで働いていれば脱獄したくなります。若い人が離職するのは当然の話なのかもしれません。

対話におけるわれわれの課題

そんな話を経営陣の方にお話をすると、こう返ってくるかもしれません。「金融庁の幹部は金融機関と対話をすると言っているけれども、主任は当行のビジネスモデルを理解せずに、なぜ手数料収入が増えないのか、なぜ店舗統廃合を進めないのかと言ってくる」と。確かにそういった話も聞こえてきます。私自身も思い当たることが幾つかありますので3つほどご紹介したいと思います。まずはリレバンが始まった2003年頃の話です。当時、アクションプログラムの機能強化計画をつくっていただくという施策がありました。私も某金融機関に伺いトップの方のお話を伺ったのですが「まず総合企画部をつくり、機能強化計画をつくれるようにします」と言われて驚愕しました。私どもが期待していたのは、お客さまへのコミットメントとしての機能強化計画だったのですが、結果的には当局への提出資料作りに変わっていました。2つ目は金融検査マニュアルを廃止してほしくないという金融機関の方にお会いした時のことです。理由をうかがったところ、ビジネスモデルと経営理念との関係について、検査官と対話をするのが嫌だ、面倒くさいと。想定問答を用意しないと大変なことになるとおっしゃる。いろいろ聞いていくと、あらゆる質問に即答しなければ、×が付く口頭諮問のように受け止められていたようです。ビジネスモデルも経営理念もトップであれば知っている話なのに、なぜそれが対話にならないのか。これは聞く側に何か問題があると感じました。最後は2019年の話です。金融行政の質の向上を財務局も一緒にできないかと、財務局や財務事務所に行き、まずはいろいろと聞いてみました。すると出てきたのはこんな話です。金融庁のいろんな施策は、金融庁が公表して初めて財務局も知る。あるいは、金融機関から問い合わせを受けて初めて知る。本当にそれで自分たちを仲間だと思っているのか。下請けだと思っていないかと。これはこの後、速やかに改善していきましたが、金融機関だけでなく自分たちの仲間ですら腹落ちをさせられていないということについて、問題意識を感じました。対話の連鎖にはフラットな関係を築くことが何よりも大事なわけですが、進んでいる部分もある一方、まだまだわれわれに課題があると受け止めています。

まだまだ改善の余地あり

金融機関の方との対話を重ねてきてはいますが、まだまだ足りていないという実例をお話したいと思います。金融機関から、新しいことをする時にご相談を受けます。当局は「後押しをします」というスタンスですから、基本的にノーということはほとんどないと思っていますが、いろいろと話を聞いていくと、氷山の下にはいろんなものが埋まっていることが分かってきました。例えば「1年で認めてもらってありがとうございました、もっとかかると思っていました」という話。「えっ」と思いました。1年前から相談していたということ、1年では通らないと思われていたということ。これは相当ショックです。別の話です。企画を見ていると、銀行が作ったオリジナルのものは半年前の日付になっていた。これはしびれました。実は自分たちがボトルネックなんじゃないかと。結論として、全てオーケーになっている、あるいは認められているという話とこれは、別のリスクだと思います。もう一つは、とあるトップの方のお話です。銀行の企画担当の人が「当局が認めないんじゃないか」と思っていると。「相談してくれれば」という思いはありますが、五分五分のフラットな関係ではないということなんだと思います。いま「相談してくれれば」と言いましたが、いまのプロセスは下から順々に検討していく形になっているので、上がってくる時には検討に検討を重ね、ようやくという感じです。ところが、こちらは「そんなに検討しなくてもいいのに」と感じていたりもします。特に地域金融機関の皆さまからのいろんなご相談は、各財務局、各財務事務所レベルで見るとなかなか事例がなくても、われわれから見ると実は別の地域で既に同じような話があるということもあるので、ものすごい力作をいただかなくても、気軽に相談していただけたらと考えています。この過剰品質も、時間がかかっている原因なのかもしれないと思っています。ボトルネックになっているのはわれわれではないか。われわれが経営リスクに直結しているのではないかという危機感を感じている中、コロナによってリモートでの業務が当たり前化したことは大きかった。スピード感を持って対応するためには、金融機関、財務局、財務事務所、金融庁がリモートで一つになって動いたらいいんじゃないか。それによって様々な視点からみた論点が集まり、さらにはその整理もしっかりできる。結果として金融行政全体のレベルアップが図れるのではと考えています。われわれもまだまだやれることはあります。

対話力をあげていく

対話を通じての学びは多々あります。1つは正解がないということ。もちろん全てに正解がないわけではありませんが、いま地域金融機関の皆さんが向き合っている課題は複雑で、1つの正解があるというものではありません。ですから、私たちが正しい答えをもっているわけでもありません。ご相談を受けた時にも正直に「僕たちも検討中だから、途中で考えが変わるかもしれない」ということをあえて申し上げています。絶対に私たちの発言に間違いがないということではなく、ちょっと申し訳なくもありますが「いろいろ聞いていると考えが変わっちゃうかもしれないけれども、それは許してください」というスタンスです。そういう姿勢が実は大事なんじゃないかと感じていますし、みなさんにも理があるということです。先ほど、橋本さんは50%でも駄目だと言われました。であれば、役所側に三分の理しかないぐらいの感覚で話を聞かなければいけないのかなと、先ほどのお話で感じました。これは自虐ではなくて、行政当局も原因の一途を担っていることを認識していますという話です。われわれも課題解決の当事者として、自分事として取り組んでいます。金融庁は、処分庁から育成庁へと変わってきたわけですが、加えて、これからは説教庁から対話庁に向かっていく必要があります。地銀は百行百様ですし、われわれが上から目線なんてもってのほか。対話は白黒を付けるものではないと腹落ちしない限り、行動変容は起きないと思います。対話に求められるのは、自分で考えていく姿勢です。先ほどの橋本さんのお話で言えば、われわれは“強い立場にある人”です。だからこそ、拙速に結論を求めず、もやもやしたプロセスに粘り強く伴走する。ネガティブケイパビリティとも言いますが、そういった対話力が必要なんだと思っています。

監督をめぐる世界共通のチャレンジ

こういった課題は、実は世界共通であるように思います。バーゼルの事務局長のキャロリン・ロジャース氏も「これからの監督は、バンクカルチャーに目を向けなければいけない」ということをおっしゃられています。バンクカルチャーを監督するといっても答えがあるわけではありませんから、私たち自身にもイノベーションが必要です。ではそれをどうやって進めていくのか。一番にやったことは金融行政の目標を改め、国民の厚生の増大、具体的には企業経済の持続的な成長、国民の安定的な資産形成という大きな旗を立てて、そこに向かって取り組むということをはっきりとさせたということです。そのために、一人一人の職員の行動規範として、国益のために働く、省益を追わない、前向きな失敗をしてもいい、先送りはしないということを求めています。質の高い金融行政を実現していくことに一人一人の職員がやりがいを感じ、働いて良かったと思える職場にしたいというのが、ここ数年の取り組みです。国民のためにフィデューシャリーを果たすのは、金融庁という組織ではなく、一人一人の職員です。一人一人の職員がそうあるためには、組織から自立した個が確立される必要があります。この数年取り組んできた生産性向上の支援チームや、政策オープンラボといった組織を超えた取り組みは、まさにそういったものを具体的に実現するためのものです。プロアクティブに行動するためにはやりがいのある仕事があって、会社に行くのが楽しいのが一番ですよね。それって、ひらめきのようなものが大事にされる社会、頑張った人が報われる人事、あるいは意見や反論・提案を口にしてもリスクがなく組織の心理的安全性が担保されている風土ということだと思います。ですから、金融庁の改革に向けたいろんな取り組みには、主体性や自主性にフォーカスしたものが多いんです。組織というのはあくまでもフィクションで、リアルに存在するのは個人です。「誰かがやってくれるだろう」「それは長官の仕事だよね」「自分はやっているのに現場の職員が変わらない」というような声はよくありますが、主語が他人である限り、いつまでたっても変革は他人事です。一人一人が主体にならなければならないと強く感じています。

銀行の未来を考える視点

野中先生の「金融業の使命は今後大きく変わる。世のため、人のために、地域のあらゆる知を総動員し、新たな価値を機動的に創造することが新しく加わる。」という最近のメッセージにも表れていますが、“知識創造バンク”として、未来の銀行には非常に期待が持たれています。経済が縮小していく、デッドからエクイティに変わっていく中、銀行の形は変わっていきます。自前で全部をやらなくてもいいし、競争領域と協調領域をよく考える必要がある。多様な形で持ち株会社化する動きも広がっていますし、ガバナンスの形も変わってくると思います。世界に目を向けるといろんな事例があります。FTに出ていたイギリスの事例は、バンクハブとして郵便局を使って共同店舗を出すもので、曜日ごとに各銀行の担当者が常駐するそうです。店舗が無くなっても、郵便局を使って現金引き出しなどのサービスを提供されるというのが注目を浴びているようです。次はちょっと視点をずらしたものです。バリューベース・バンキングという言葉を聞くことがあると思いますが、バリューベース・ヘルスケアというもの。医者と患者の関係では医者が圧倒的に優位です。そして、患者さんは不安の中でいろんな判断をしなければならない。結果として正しくない判断をしてしまうのはどうかということで、テキサス大学のメディカルスクールは“患者本位”を前面に出しています。医者はあくまで経験豊かなガイドであって、権威は振りかざしませんと。それを体現しているのが、患者が医者の部屋に入るのではなく、ケアルームという患者と家族の部屋に医者やスタッフがどんどん入って話をするという形式です。医者の都合で治療するのではなく、患者の気持ちを重視する。医者には権威と技術が求められますが、足りないのはパトス、共感です。その共感を取り戻すことによって結果として医療ミスを減らし、医療費を減らし、患者の納得感を向上させていく。まさにペイシェント・エクスペリエンスですね。

ここからどのように進化していくのか

人類が絶滅してから5000年後の動物の進化について書かれた『アフターマン』という本があります。その中に、元はコウモリですが、後ろ足が手になって、翼がなくなり、前足が歩行するようになり、さらには目が見えなくなって、その代わり耳とか鼻がすごく発達して生きている動物が描かれています。

引用元:https://www.dougal-dixon.co.uk/

これでもコウモリの子孫なんです。さて、銀行は一体どうなっていくのでしょうか。預貸は引き続き銀行の中核だと思いますが、本部が大きくて支店があって、支店の中に事務をする人がたくさんいて、システム部門を持ち、運用も全部やってというところから、何が進化し退化して、何が発達していくのか。例えば金融機関の半分ぐらいは女性です。であれば、銀行に必要なのはウーマノミクスかもしれません。女性の方が共感力が高いのはみなさんご存じのとおりですから、お客さんの話を聞くという仕事には適しているかもしれませんよね。営業部隊が体育会系でお願い営業に長けた戦闘部隊ではない銀行も出てくるのかもしれない。まさにこの動物のように、銀行も何らかの形で進化をしていくんじゃないかと考えています。もちろん銀行が変わっていけばわれわれ金融当局も変わっていきます。5000年先はよく分かりませんが、われわれの課題として、脱銀行あるいは金融と非金融の融合というものがあります。そういった課題に当局としてどのように立ち向かっていくのかを考えていく必要があります。この姿は銀行の姿ではなくて、金融当局の姿かもしれない。結果として、今までの金融行政とは違う“非金融行政”のようなものの担い手になるのかもしれません。金融庁そのものが今までと全く違うものになっていくかもしれないということです。結局は形にこだわらずに「何のために仕事をしているのかを考えていかなければならない」というのが、両利きの金融行政というところから考えた1つの答えです。

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