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プロローグ

ジンテック セミナー

金融、時間、魂を捧げる者

共同通信社 編集委員 橋本 卓典 氏

リレバンの科学とは

2016年からはじまったこの講演会も早6回目をむかえました。今回のテーマは「両利きの地域金融」。プロローグとして、私がいま感じている問題意識をお話しさせていただきます。今年度のセミナーの大テーマは「リレバンの科学」×「情感金融」。この掛け合わせで「両利き」としています。このセミナーではリレーションシップバンキングを大きなテーマとして掲げてきましたが、リレバンには「もうけにつながらない」とか「すごく大事なものだ」とかいろんな意見があります。いずれにしても言えるのはコロナ禍という環境、また持続可能な金融という面で、もはや企業支援は避けて通れなくなっているということ。リレバンを、企業支援をどう成り立たせていくのかは大きな課題です。リレバンにはプロフェッショナルな人材が必要ですが、育成には時間がかります。こういったリレバンにかかる時間や人手をどう管理していくのかを、もっと科学的に考えてもいいのではないかと考えています。メガバンクのお客さまの中心は大企業で、一つの企業を営業担当者1人、もしくは何人かがかりで見るのが当たり前です。ところが地域金融に目を向けると、例えば地銀では1人の法人担当者が150社とか200社とかをみています。当然、1カ月に1回も回れませんよね。信金では1人当たり30社~40社で、月1回の訪問はなんとかというところ。リレバンと言いつつ、お客さんのところにどのくらい足を運び、時間をかけて対話ができているのかを、これまであまり科学的に考えられてこなかったように感じています。金融機関側の収益に結び付くかだけではなくて、お客さまの付加価値につながっていることこそが大事であるということに、みなさん気が付いているのでしょうか。気分としてのリレバンでは意味がない。「リレバンの科学」という問題意識をまず挙げたいと思います。

情感金融とは何か

「情感金融」という言葉は、追手門学院大学の水野教授の言葉をお借りしています。債権の質は債権者ではなくて債務者の“行動”もしくは“行動変容”に左右されます。ですから、債務者の行動変容が伴わなければその債権が安全であるとは言えないんです。とはいえ、上から怒鳴りつけたって債務者の行動変容は起きません。「自分は金融機関から信頼され、期待されているんだ」ということが腹落ちした時に「よし頑張ろう」という気になる。特に地域金融の場合はこういった情感金融によって債務者の行動変容が起きやすい。リレバンは時間や人手などを物理的に科学すると同時に、行員や金庫や信用組合の職員、さらにはお客さまも含めて“自分事”として関心を持つことから行動変容が起きるのです。これももう一つの大きなポイントです。

知性の共有-地域金融変革運動体

地域金融変革運動体は地域金融に志を持ち「真の地域金融とは何か」を探求する、様々な考えを持つ方々の動きの総称です。京都信用金庫の顧問である増田さんがつけられた名称ですが、登記もなければ代表もいません。会費も規約もありません。知性や知見を共有していくことだけを目的にしたネットワークです。コロナ禍においての企業支援のノウハウ、お客さまとの向き合い方、あるいは経営について。あらゆる課題を、組織を超えて共に考えていく時代です。複雑な問題や予測不能な未来に対処するには、組織外に分散する知性をも集めなければ立ちゆけません。利用できるものなら何でも利用しましょうということです。心理的安全性は組織内・外から幅広く知性を集めるために必要な雰囲気、空気感のようなものなのではないかと感じています。

新しい知性の獲得は弱い紐帯から

米国の社会学者であるマーク・グラノヴェッターが立てた仮説に“弱い紐帯”というものがあります。日ごろ慣れ合っていると、気づくと他人の悪口大会が始まったりしますよね。でもちょっと離れた人、会ったこともないゼミの先輩、あるいは滅多に会わないおじさん。そういう人たちからは新しい知性を得ることができます。「あの企業はおまえが思っているほど悪い企業じゃないぞ」とか「おまえが言うほどこの企業はよくないぞ」といった情報も遠い人の方が響く。金融庁が取り組むコロナ禍における企業支援のためのノウハウを集める“知見結集”という集まりもそうだし、第3回目にご登壇される京都信用金庫の榊田さんが主導されている“QUESTION”という複合施設もそうです。QUESTIONは課題を投げ込んだらそこに加盟している誰かが48時間以内に必ず回答するというものですが、課題を課題で終わらせず、集結した知性を集合知として実践的に使う。そういう具体的な取り組みです。ネットワークで知性を集め、それを実践に落とし込むという活動はもはや絵空事ではない。既に金融庁も京都信用金庫もやってのけています。時代はこういうところに来ているということを知っておいていただきたいと思います。

他人事保全金融に価値はない

ちょっと耳の痛い話かもしれませんが、いまの金融は価値を失っているように感じます。融資時のお客さまの負債は金融機関からすれば貸出債権です。日下さんがよくおっしゃるように、お客さまの負債と金融機関の資産はイコールで一蓮托生の関係にある。ところが担保や保証に依存しきってしまうと「保全されているんだからいいじゃないか」なんていう言葉が出てくるようになる。「次の肩代わりに行って、貸出を増やそうじゃないか」なんてこともよく耳にします。そういう金融をしているところを私は“保全金融”と呼んでいます。お客さまの事業なんてどうでもいい。保全していれば金融庁は何も言わないし、はっきり言えば他人事。だから、お客さまからは「金融機関はどうせ雨が降ると傘を取り上げるんだろう」と思われている。こんなところに行動変容が起きるはずがありません。いまの金融が価値を失いつつあるとするならば、それは“保全金融”、もっと言えば“他人事保全金融”だからです。そんなところにリターンなんてあるわけはない。そういう金融にはもちろん付加価値もないので、お客さまの価値を創造することも出来ない。結果として価値を失っていくのは当然だと思います。

〇〇アズ・ア・サービスとは何か

最近よく何とかアズ・ア・サービスと聞きますよね。バンキング・アズ・ア・サービスとかちょっと格好がいい感じのやつです。これまで金融機関が理解してこなかった、あるいは理解しようとしなかった部分だと思います。何とかアズ・ア・サービスというのは、「当事者はそう思っていないけれど、お客さまからするとこれをやってほしい」というサービス。金融機関は気付いていないけれど、お客さまはお金を払ってでもやってほしいサービスがあるということです。今夏、ある地域金融機関のお客さまのところに足を運びました。盤石な経営をしている中小企業です。私は「地元の金融機関がやってくれないサービスでお金を払ってでもやってほしいサービスはありますか」と聞いてみました。そうしたら「労務管理だ」と言うんです。その会社はNTTの工事を請け負う会社で、仕事は安定して入ってきます。悩ましいのは日雇いの方々を雇うときの契約書面。労基に抵触しないものになっているかを社労士の先生に確認してもらいたいけれど、地域で人気の社労士の先生は朝から晩まで忙しくて、連絡しても全く返事が返ってこない。だから本当は現場をいくつも視察したいのに、丸1日事務所にいることになって時間が奪われていると。金融機関が悪いわけではありません。でも、その方はお金を払ってでも金融機関にやってほしいと思っています。金融機関はそれに応えていない上に、大事なサービスだと思っていないから無料でやったりします。「その分は金利で応えていただければありがたいです」というスタンスですね。これがこれまでの金融機関です。でも、僕と同い年のその社長は「お金を借りたいんじゃない。ただでやってもらおうとも思っていない。手数料を払ってでもいいからやってほしいんです。」と言っている。残念ながら金融機関は聞く耳を持ちません。アズ・ア・サービスだという理解がないからです。だから、できるのにやらない。著書『金融排除』に、大阪の黒門市場に入っている深廣という魚屋がでてきます。いまはコロナでインバウンドが入ってきませんから、黒門市場は総じて大変なんです。そこで深廣は「魚をさばく」というサービスを始めました。コロナを避けて1人で釣りをしてきたけれど、家でさばくのが面倒くさい。お金を払ってでもいいからさばいて、切り身にして家まで送ってほしい。そういうニーズに対してサービスを始めたんです。「うちは魚屋なので魚をさばくことは商売にしていません」ではなくて、お客さんの話を聞いてサービスにする。これこそがアズ・ア・サービスであって、お客さまはそれを求めているのです。

ノウハウをサブスクで提供する時代へ

「銀行や証券会社の窓口になんか行きたくない」というデジタルネイティブ世代が主な生産年齢人口になる時代がきます。これからは顧客本位どころか、海外では既に常識となっている“カスタマージャーニー”なビジネスモデルを考えないとまずい。“お金を貸す”ことばかりが大事にされ、お客さまの困りごとに耳を傾けてこなかったことが、金融の価値を総体的に低下させています。労務管理周り、例えば人事制度や防災マニュアル、SDGs対応、あるいは脱炭素に関するノウハウは、中小企業であればどこもほとんど同じで汎用的です。であれば、そのノウハウをサブスクリプションで提供する存在になることは難しくありません。ニーズがあればそこにサプライヤーは現れます。やらなければどこかのコンサルティング会社がそれを代替するだけの話です。それを金融機関が担うかどうかです。

フィンテックの本質は“機能はがし”

「フィンテックは敵か味方か」という議論がよくされますが、論点はそこではありません。お客さんが必要としているなら、自らがフィンテック企業になったらいいのです。これを実践しているのが第3回のセミナーに登壇される北國銀行です。なりたいからというよりは、カスタマージャーニーとして考えた時に、お客さまが必要としているからなるんです。アズ・ア・サービスの観点から見た時に、コンビニATMとは何なのか。あるいは最近出てきた送金や決済、家計簿アプリとはいったい何なのか。フィンテックは銀行が抱え込んできた幾つもの機能を引きはがしにかかっていると私はみています。ATMという機能だけを望んでいるお客さまに対応します。送金だけ、決済だけ、家計簿だけやります。融資をやろうなんて考えていません。そういうのがどんどん出てきていますよね。銀行という組織が抱え込んできた幾つものファンクションを、もっと便利に使えるようにと引きはがしにかかっているんです。銀行を欲しがっているんじゃなくて銀行の中の“機能”を欲しがっているんです。機能の時代です。しかるに、フルスペックの田舎の地銀同士が合併したとして、ブレークスルーするような革新的な金融機関が本当にできるのでしょうか。本当にデジタル世代に応えられる銀行ができるのかちょっと疑問です。例えば銀行の預貸に回せなかった分の資金運用、あるいは銀行のシステム、さらには現金輸送。こういうものはもはや地銀が合併してどうこうの話じゃなくて、もっと広域な、東日本全部とかでやったらどうでしょう。現金輸送なんて日本全部で切り出してALSOKとSECOMに合い見積もり出させたほうが、規模のメリットがでそうです。発想を変え、スケールを大きくして考えたらどうか。磨くべきは金融の機能です。銀行と銀行を合併させれば地域の問題は解決するのか。そういう地域ももちろんあるにはありますが、それだけじゃないと思います。

顧客本位の金融とは

「顧客本意の金融とは何か」をずっと考え続けてきましたが、こういう言い方ができるかもしれません。「顧客のかけがえのない時間、その価値を最大化させることが顧客本意である」と。お客さんも気付いていない潜在的なニーズさえも含めて掘り起こし、お客さまの時間を大切にする。「魂を捧げる」という私の題はちょっとあれですが、本当に悩むべきことに、人生を懸けたくなることにエネルギーを注げていますか。「朝から晩まで資金繰りのことを考えています」という状態にあるというのは、お客さまの時間を大切にしているといえるのでしょうか。人の時間を奪ってはいないか考えてみる必要があります。

「情感金融」を実践する時間を作る

京都信用金庫のバック・オフィス・センター(BOC)は、ただの事務集中センターではありません。営業店が本来費やすべき相談・顧客提案・課題解決などを考え、実行する時間を生み出すためにあります。営業店は午後3時に閉まった後もものすごく忙しい。伝票の突き合わせ作業などに膨大な時間がとられています。京都信金は「そういう時間は本部が引き取って本店でやろう」という方針です。例えば高齢の方が亡くなった後に発生する口座の相続は大事な作業で、時間がかかります。営業店で対応していると待つ人の大行列が起きてしまう。そうすると窓口の担当者も、待ち時間を作らせてしまったお客さまも焦ってしまい、じっくり向き合うことができません。だから京都信用金庫では相続も本店の専門の担当者が腰を据えて何時間でもお話を聞くのです。対面が礼儀正しく、非対面は無礼、そんなイメージはありませんか?実際にはそんなことは全くありません。京都信用金庫では会ったこともない、電話の向こう側にいる本店の相続担当者に対して感謝の手紙が届くそうです。対面・非対面といった形式的なことではなく、どれだけ私のために時間を使ってくれたか、向き合ってくれたか。そのことでお客さまの心は動く。これぞ情感金融です。

本来使うべきところへ時間を使うこと

浜松いわた信用金庫のビジネスパートナーはいわゆる伴走支援ではありません。経営者の真横にいて「一蓮托生の参謀になるからいつでも時間使ってくれ」というスタンスです。また、第3回に登壇する北國銀行は北陸3県の手数料を無料化しています。杖村さんがお話しになるかもしれませんが、喫茶店に納品しているコーヒー豆業者さんが、納品先から振込手数料を負担するように言われていました。でも手数料を支払うのが嫌だからコーヒー豆の納入後に集金に店舗を回っていると。コーヒー豆業者が悩むべきは焙煎の新しいやり方や新しい豆の調達。そういうことですよね。なのに、集金作業のために忙しい。まさに時間の無駄です。本当に時間を捧げるべきことに、もっといえば自分の人生を捧げるべきことに捧げられていない。それを私たちは“生産性が低い”と言っています。「本来使うべきところに時間を注ぎ込めているか」ということこそが生産性の軸なのです。保全金融により、企業と金融機関のBS上の一蓮託生関係が怪しくなってきているいま「お客さまの時間を大切にする金融」へと変化していくことこそが重要です。金融機関がお客さまの経費や時間を大切にしながら、さらにはビジネスとしてしっかり回しながら、PL上の一蓮託生関係を築くことによって、預貸業務がもう一度輝きます。保全金融に見えるものも、お客さまとPL上での一蓮託生関係が築ければ「預貸業務を放っておおいちゃまずい」となっていきます。自分自身の体質改善から始め、お客さまのビジネスを自分事にしていけば、収益にヒットします。人はそうやって徐々に変わっていくものなんだと思います。

パトスで行動変容を起こす

アリストテレスは説得に必要な3要素として“ロゴス”“エトス”“パトス”があると言いました。ロゴスは論理、エトスは評判、権威、人柄、あるいは資格。パトスは共感、感情です。この3要素がそろわないと人を説得することができない。つまり行動変容しないということです。金融機関には信頼あるいは権威がある。もちろん論理もしっかりしていますからロゴスとエトスは備わっています。ということは、金融機関が債務者、お客さまを行動変容させることができないのは、共感や感情に訴えられていないということです。西田さんという元航空自衛隊員の女性がいます。この方は何十人もの男性、しかも年上の部下を持っていらした。そんな西田さんが女性として男性の部下を、あるいは年下として年上の部下をどう管理したかというお話を伺った時にとても感銘を受けました。西田さんの階級は当然部下より高い。論理もある。唯一足りない“共感”をどう補ったのかという話です。自衛隊は人の命を預かる仕事ですよね。だから、西田さんは部下のご両親に手紙を書きました。「私はこのように育ってきて、こういう気持ちで自衛隊に入り、いまはご両親が育てたお子さんを部下として命を預かる立場になっています」という手紙を書いたんです。ご両親はびっくりして、息子に「おまえの隊長さんは素晴らしい」と伝えます。当然ですよね。こうして年齢の逆転や、ジェンダーの違いを超えた、信頼関係を築かれたそうです。金融機関はパトスでがっちりと心をつかむことを大事にしているでしょうか。属人的であり計測できないものだから、そんなものは重要ではない。その考え方は真実でしょうか。論理や権威が十分にあるのに、金融機関は組織内でもお客さま先でも行動変容を起こせていません。足りないのは“共感”だと思います。

対話の本質

様々な本によれば、立場の強い者と弱い者が50%ずつの分量で対話をしても行動変容は全く起きないそうです。白人がメキシコ人と同じ時間話しても、メキシコ人は白人に全く共感しない。なぜなら「白人のつらい話なんか聞きたくない、自分たちのほうがよほどつらいんだ」と感じているからです。つまり、立場の強い者は立場の弱い者の話を7、8割ほど聞く必要があるということです。「俺の話を聞け」というスタンスではなく、立場の弱い人の話をじっくりと聞く。そういったアクティブリスニングのスキルがないと行動変容は起こせません。金融庁は金融行政方針にも「対話が大事である」と打ち出していますが、ただ対話をすればいいということではない。じっくりと相手の話に耳を傾けることが大切です。共感を育むためには相手の話をとことん聞くという姿勢を示す必要がある。金融機関は上から目線だとよく言われますが、8割方話を聞かせたりしていませんか。

魂を捧げる

昔、アケメネス朝ペルシアという国にカンビュセス2世という王様がいました。彼は汚職をしたシサムネスという裁判官を皮はぎの刑にして殺し、その皮で裁判官が座る椅子を装飾したんです。当時、裁判官は世襲制でしたから、カンビュセス2世はそこにシサムネスの子どもを座らせ「自分事として魂を捧げてこの仕事に取り組め」「この椅子に座るたびにおまえはそれを思い出すだろう」と言いました。父の犯した過ちを自分事として取り組めということです。金融機関のシステムは丸投げだという話がありますが、もし自分事とするならそこも自分でやるべきです。「そんなことやっている暇はない」ともし丸投げするなら、相手に出資するぐらいの一蓮託生関係を築くべきだと思います。相手に対して「なめるなよ、こっちは本気なんだ」という姿勢を示すべきなんです。丸投げしてるものをどう自分事に転換することができるのか。大事なポイントだと思います。

自分事とはなにか

自分事としての実践事例をいくつかご紹介したいと思います。様々な企業支援をされている北門信用金庫の伊藤貢作さんという方から伺った話です。例えば建設業者。金融機関は「人を切りなさい」「経費を節減しなさい」と言いますよね。ところが建設業の利益の原泉は公共事業の入札です。入札に参加するには経営審査点を上げる必要があります。その要件には作業員の負傷に対する盤石な保険に入っているとか、資格保有者が一定以上いるとか自己資本率とかがあるんですね。経営審査点が上がらなければ、いい事業を取れません。結局、経営審査点を上げる支援しない限り収益にはつながらないんです。ですから、いくら人や経費の話をしても建設業者は聞く耳持たないわけです。スーパーの事例です。スーパーで圧倒的な権限をもつのはバイヤーです。経理担当に「こう財務を改善させなさい」と言っても変わりません。スーパーの経理担当は、端的に言えば立場の低い電話番だからです。バイヤーの方々に響くような提案、例えば商材導入のパッケージや、廃盤にするべきものを提案したり。そこを自分事として提案しないと受け入れてもらえません。飲食店の事例です。よく「回転率を上げろ」と言いますが、回転率は“結果”だということがわかっているでしょうか。回転率は1回当たりの調理能力でどれくらい提供できるか、さらにそれをどのように配膳するかを見極める司令塔の采配によって決まります。人数の異なる複数組のお客さまにどのように配膳をしたら1組ずつスムーズに退店していただけるのか。こういうものが回転率に影響するんです。ですから頭ごなしに回転率を上げろと言っても何の改善にもなりません。こういう発想は相手のフィールドに飛び込み、もうかるポイント・肝を見つけなければできない。そこに刺さる提案ができなければ、企業支援にはならないのです。

これからの地域金融-自分事の実践

リスクリターンの軸で考えた時“買収”は究極の自分事です。出資も金融機関は資本が命という意味で相当な自分事だと思います。出資まで行かなくても、お客さまの株を担保に融資する包括担保融資という手もあります。万が一のことがあれば株を押さえるとか人材を出向させているとか。これも自分事度は高い。自分事度が下がってくると資本性ローンやDDSになっていきます。会計上、資本とみなすだけであって、結局はローンであり15年あるいは20年先送りしています。とはいえ回収が遅れるわけですから、他人事よりは自分事という気がしなくもない。もし、買収も出資もできないならば、お客さまの経営管理、内部管理、労務管理、あるいは福利厚生を代替し、お客さまの時間を作り、本来時間をかけるべきところに時間を注げるような環境を提供するというやり方もあります。お客さまとの一蓮託生関係になりますし「自分の時間を大切にしてもらっている」と感じれば、継続するサブスクになります。それでぼろもうけしろとは言っていません。でも、持続可能なビジネスモデルの一つにはなり得ますよね。そうすれば、仮に担保や保証で保全されているとしても、全くの他人事金融ではなくなっていきます。お客さまのところに足を運び、現況がどうなっているのか、途上与信管理も含めてしっかり確認する。それによって預貸業務がこれまで以上に重要なものになってくると思います。今年度のセミナーを通じて私が探求したい問題意識は「自分事」とは何かということです。来年こそはリアルで開催できたらと願っています。ぜひ、みんなで行動変容しましょう。

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