Jライブラリー

第3部 パネルディスカッション

ジンテック セミナー

可能性の地域金融

【パネリスト】
北國銀行 頭取 杖村 修司 氏
沖縄銀行 常務取締役 伊波 一也 氏
東邦銀行 常務執行役員 矢吹 光一 氏

【モデレーター】
金融庁 監督局 地域金融企画室長 日下 智晴 氏


沖縄銀行 常務取締役 伊波一也氏
辛いことも多かった初期の再生部隊

沖縄銀行は創業が昭和31年ですから、地方銀行の中では若い方です。店舗数は54店舗ほど。理念は地域密着、地域貢献です。さて、沖縄銀行の取り組みについてですが1997年~2006年ごろの「オーナー経営者の闘い」「本気の再生支援、社内外の戦い」をテーマに話を進めていきたいと思います。私は銀行員として外為係をスタートに国際部にいたりしましたので、再生支援については全くの門外漢だったんです。ところが1997年に中小企業診断士を取得したからか、再生部隊の初期メンバーに突然配属されました。オーナー経営者は本当にいろいろで、再生に向けて身を粉にして頑張っていらっしゃる方もいれば、身の保身を何よりも大事にする方もたくさんいました。あの頃は本当に寝ず、食わずという感じで、リストラ策や在庫処理についての稟議書を夜中に書くんですけれども、その人たちの家族とかバックボーンが見え、涙が出てしょうがありませんでした。自分がやっていることが本当に正しいのかどうか、疑心暗鬼で大変苦しかった。非常にもやもやとしながら、一生懸命頑張っている経営者、頑張っていない経営者、それぞれを眺めながら、雇用と事業に意識を集中させながら日々取り組みを進めていました。当時は県内最大手のゼネコングループを担当していて、担当した時点では関連法人が50社以上あったのが、20社ぐらいまで減っていきました。廃業したり、ただ同然の無価値で解散したり、売却されたりするのを本当に心苦しく感じていました。平成12年のある時、この会社の一番大きな資産であるゴルフ場を最後の債務解消の原資、資産として50億で売却する計画を立てました。当時は金融庁を含めて絶対に無理だと思われていましたが、結局ゴルフ業界に進出したいキャッシュリッチな会社に50億で売れました。当時は沖縄のリゾートゴルフも破綻が相次いでいましたが、このゴルフ場は会員の預託金の簿価よりも売買の方が3倍ぐらい高く、ほとんどが自用地だったため大変経営状態がよかったのですが、売却先が本当に生業として機能させていけるのか、大きな不安がありました。そこで、当行でM&Aを開始するべく、行内で東奔西走で調整しました。ところがこれはちょっと大きな案件でしたから、基本合意を地元の琉球新聞さんが「沖縄銀行、M&A業務に本腰」と大きい見出しで出したために、すったもんだしまして、金融検査の時には喧喧諤諤。平成12年の夏の検査でしたが、最終日まで決着がつかなかったものの、私と喧喧諤諤やり合っていた金融庁の担当官が、私が説明に窮するとフォローしてくれたんです。最終的にはわれわれの申し立てた債務書類のとおりになりましたが、検査が終わってその担当官の方にお礼を言う時に涙が出ました。この担当官の方も本当はわれわれの言い分を理解してくれていたことが分かって非常に嬉しかったのと、2週間ほど寝ずに仕事をしていたので体の力が抜けていったからだと思います。金融検査マニュアルを批判する方もいらっしゃいますが、私自身はそこまで批判的ではなくて、債務者区分における破綻懸念先の定義が書かれ、“いろは”がまとめられているものだと思っています。検査期間中の説明は「われわれの技術を上げてくれたな」とも考えています。

王道の融資であるという筋道

ある破綻しているホテルがありました。他行さんメインでしたが、よく見てみれば絶対に再生しなければならない、沖縄に必要なホテルでした。メイン行さんも自行の債権をカットしていて融資ができない状況下にあったので、「これは私たちがやるんだ」と言ったら役員全員がほぼ完璧に反対。何回あげても反対されて、これにはちょっと参ったなと思いました。当時の担当がいつも青ざめて帰ってくるんですが、「大丈夫だ、もう1回」と何回も行ってもらっていましたが、根本には「他行の不良債権処理を何で当行が支援するのか」という小さな考え方をしていたことに気づきました。私は担当に対してそうじゃないんだと、ちゃんとした融資さえできればブラックでもホワイトな債権になる。当時、沖縄県は観光立県として本腰を入れていくところでしたので、県の施策の王道を行っているという自負がありました。これは誰が見ても王道の融資なんだという意識ですね。

沖縄銀行におけるさまざまな経営支援の取り組み

当行では事業性評価に基づく融資の取り組みとしてCIPSという経営支援システムに取り組んでいます。「財務診断書」や「ソリューション営業提案書」をお客さまへ提案するなどして、お客さまと経営課題を共有しながらリレーション強化を図っています。お客さまの成長戦略に必要な運転資金や設備資金にも積極的に融資対応していますが、だんだんと件数が増えてきています。また、沖縄銀行では、あなたが担当者として会社について一番詳しい人になるというイメージで取り組みを進めています。また、本業支援の具体策を営業店全体で検討する「戦略ミーティング」も開催しています。1つの課題に対して全員が知恵を出すので、担当者以外もどんどん疑似体験をしていって、問題解決の引き出しが増え、非常にいい取り組みだと思っています。

スピード感を重視したコロナ禍への対応

今年はコロナウィルスの影響が本当に大きい一年でした。当初はインフルエンザのように過ぎていくのかと思っていましたが、時間が経つにつれて非常に深刻な状況になっていった。2月26日に緊急支店長会議をし、まずは取引先の現状を訪問で確認していきました。2月からセーフティーネットがコロナにも対応できるようになりましたが、保証協会では対応にスピード感がないので、無担保保証の200億を用意し企業の資金繰り対応をしました。4月に再び企業の現状確認、フォローアップをしましたが、この時点ではもう訪問ができなくて、電話で実施しました。また、資金供与の迅速化に向けて保証協会と目線合わせをし、稟議書の簡略化を図り、「ここが書けていれば、ここが確認できればオッケー」という形にしました。ご存じのように中小企業者の皆さまは、申請書を書くことへのハードルが非常に高いので、われわれが代理申請・授受をするような取り組みもしています。そして、いったん資金繰りが落ち着いただろうという9月には、訪問とインタビューでアンケートを実施し「今、何を一番してほしいのか」などを確認しました。また、社外取締役から「沖縄銀行さんはいろいろしているけれどもアピールが下手だ」「沖縄を元気にするためのこういった取り組みは、アドバルーンを上げて県民に周知するべし」と提案をいただきましたので、何かやったら必ずリリースをするようにして、経営者の皆さんに「支援するから諦めないでください」というメッセージをどんどん出していきました。

沖縄独自の地理と歴史を活かしたグローバル戦略

沖縄を中心に地図に円を描き、LCCが航続する飛行機で4時間以内の範囲は、20億人が住んでいる非常に元気なマーケットなんです。沖縄は距離的に見れば東京よりも台湾が近い。そこに価値を見い出しています。また、戦前からアジアを始めとした世界に県民が散らばり、各地で各種のビジネスが動いていて、子孫も含めるとその数は約40万人。彼らは5年に一度開催されるウチナーンチュ大会をとても楽しみにしていて、毎回5,000人ぐらいが集まります。こういったネットワークも世界に羽ばたいていく一つのきっかけなるのではないかと考えています。

東邦銀行 常務執行役員 矢吹光一氏
人の心の再生が事業再生につながる

私ども東邦銀行ではロスカットを行った事業再生を抜本的再生支援と言っていますが、メイン行として、抜本的再生の中でDDSはほぼ使っていません。「中小企業の超過収益は将来投資に回すべき」という考え方で、基本的にはDPOで債権カットをし、代理会社でやってきたものがほとんどです。これまでの57件の案件で、私自身は46件を担当、あるいはプロジェクトリーダーとして関与させていただきましたが、私どもの誇りは、原則としてリストラ計画を書かなかったというところにあります。地方においては雇用が一番大事ですから、事業存続に向けてリストラ計画は書きませんでした。そして、もう一つ、2次破綻は発生していません。この2点は地方金融機関としての矜持です。今日わたしがお伝えしたいのは、人の心の再生が事業再生につながるというお話です。

成功要因はトップのコミットメントと組織の後ろ盾

われわれの審査部はいくつかに課が分かれています。一時期、審査と経営支援を合体させるような時代もありましたが、2018年に時流もあって改めて支援課を設置し、現在10名で動いています。一番のポイントは事業再生に関して、頭取をはじめとしたトップマネジメントの強いコミットがあるということ。これがなければ、われわれがいくら頑張ろうと思ってもできなかったと感じています。しっかりと組織が後ろ盾してくれたことは、やりきることができた大きな要因だと思います。そして、お客さまの繁栄を本気でピュアに考えている人間が地方銀行には多くいます。こういった人間の志をいかにつないでいくか、きれい事に聞こえるかもしれませんが、私自身はそこを大切にして進めてきました。

事業再生は熱き思いがなければできない

一番大切なのはパッション。再生は熱き思いがなければできないと思います。先ほど伊波常務のお話でもありましたが、私も再生をしている途中で何回も泣きました。お客さまの苦しみを一緒になって考えます。どうしても守りたいもの、それはお客様の事業と雇用だと思います。そして、再生というのはある意味において創業と同じ、それだけの思いが必要だと考えています。結果として最後にお客さまに「ありがとう」とおっしゃっていただくことが明日の糧になるのです。銀行的には経済の合理はすごく大切ですが、それを支えるのは人としての条理であり人間力です。事業再生においては銀行員としての志や矜持、あるいは情熱、誠意こそが大切であると思っています。

旅館の再生 一般債権者300社がファンになる

2005年、今でいう面的再生の走りのような形で、会津の3つの旅館を1つにするという事業再生をやらせていただきました。こんな古い話を出すのは、その後の旅館の、このコロナ禍においての状況をお伝えしたいからです。3つの旅館はもちろんみんなライバルです。それを1つに統合しますと言った時に、利害関係者はオーナー、あるいはお父さん、お母さんなど、11人の方がいました。地元の旅館のプラットフォームとして再生しよう。価格体系は下げず、一泊15,000円で日本一の宿を作ろうというストーリーで皆さんを説得し、プロジェクトに持っていきました。その結果、超過収益を出して活性化し、景観をよくするため向かいの旅館を買って壊し、さら地にして市に寄与する。そんなことができる会社になりました。この案件の一番のポイントは、事業価値がとてつもなく低かったこと。十数行の取引行がありましたが、最終的に残ったのは私どもだけ。新規で政策投資銀行に入っていただいて、その2行で支えました。結局スポンサーは使わず、本当に手作りの再生をしましたが、その時に300社の取引先の一般債権を継承しました。普通はスポンサーを連れてきてまかないますから、300社に会社分割通知を送るというのは珍しい事案だと思います。2カ月間にわたって残高照合をし、分割通知を送って承継させていただいたのが2005年11月1日。この日、300社のファンができました。この会社を生かせばわれわれの債権は取れると。一番短いところは数カ月でしたが、一番長いものは5年の猶予をいただいてスタートしました。結果、その方々がファンになり旅館はどんどん進化していった。会津は酒がとてもおいしいので、それをいろんな方に振る舞うような館やダイニングを造りました。冬が厳しい会津は繁閑がとても激しいので、三館一体の背景には繁閑対策もありました。旅館の方々にはそれぞれに思いや歴史がありますから、それをいかに融合させるかに相当苦心しました。一つのきっかけとして、冬場の閑散期を利用して大工さんを雇い、イケアから照明を買ってきたりして、別館のダイニングを手作りでリフォームしました。お客さまから直接評価していただけることで従業員1人ずつが変わっていきました。今は部屋も30万円ほどでスケルトンにして、自分たちで造り直しています。そんなこともできる旅館になりました。

東日本大震災での社長の英断

さて、事業再生を実施したのは平成17年ですが、300社のファンが「支えることが自分たちの利益につながる」と、多くのお客さまを送ってくださいました。そして、2011年の3月11日に東日本大震災が起きました。この時、社長は羽田にいたんですが、おかみさんに送ったメールには「大変なことになりました。明日からただで泊めます」と書かれていました。3月11日の夜にです。客室は128室。定員は500人。布団は700人分ありました。どんどんいらっしゃる方が増えてきて、ピーク時には1,400人。布団は足りませんからロビーにみんなで寝ました。それでも温かいおにぎりとみそ汁と温泉がある。これでどれほどの方が救われたか分かりません。私どもの行員もそこに行っておにぎりを握りましたが、何千個も握りますから低温でもやけどをしたそうです。1カ月後には福島県が非難者の方々へホテルを開放していきましたが、その間、体育館に非難されていた方が1日1,000人ほど温泉にいらっしゃり、30日で約30,000人がこの旅館で癒やされました。社長は私と同年代のいわゆる「よそ者、ばか者、若者」で、お願いして会津に来ていただいたんです。「なぜ無料で開放していただいたんですか」と伺ったら、「われわれは事業再生の時にいろんな方に助けてもらい、福島の方に育んでいただいた。これで仮に潰れても自分たちには失うものは何もないと思っていた」と明快におっしゃいました。ただ「潰れることもないだろう」と思っていたともおっしゃっていました。「あの時にただで泊めてもらった」ということをお客さまは一生忘れません。そしてリピートされます。そして、そこから快進撃を続けていて、じゃらん東北で11年連続1位という記録を出しています。スタートは本当にお金がありませんでしたが、そんな会社がほぼ借り入れもせずに今までやってきました。素晴らしいことだと思います。成し遂げたのは事業者の方々、そしてそこに働く旅館の方々です。私どもは入り口で少しお手伝いをしただけで何もしていません。

コロナ禍において設備と教育に投資をしていく

コロナ禍の今へと話を移していきます。4月に社長に電話したら「最低です、大変なことになりました。徹底的に設備をやります。来るべき時が来るかどうかは分からないけれど、今やれることをやるしかない」と。設備を徹底的に自分たちで直す。そして人の教育。そこにとことんお金と時間をかけていくというふうにおっしゃいました。予約が全くない中で、露天風呂を造り、部屋を直し、バックの導線も相当変えたそうです。その結果、現在の売り上げは100対130、140くらいだそうです。人数で約1割、単価で約2割ぐらい上がっています。Go To トラベル効果が相当あるそうで、高いところから売れていく。紅葉の秋は会津のトップシーズン。毎日満室なので従業員はくたくただそうです。でも、ここをやり切らないといけないと従業員が言う。一昨日おじゃまして、とても嬉しいことがありました。「矢吹さん、この状況を支えているのは障がい者の方なんです」と。どういうことかお伺いしたら、毎日20人くらい派遣で来ていただいて、お部屋の清掃やリネン交換をやっていただいてるんだそうです。われわれはこんな会社になったんですっておっしゃっていて、とても嬉しかった。こういったことに少しでも関われたことは、まさに自分たちの誇りだなと思いました。

支援関係者の情熱と当事者のやる気

2018年にアパレルの会社を再生しようと考えました。全国に100店舗、売り上げ100億ぐらいの会社です。従業員は全部で800人ほど、その内パート・アルバイトは600人です。地域の事業承継ではスポンサー議論がよくあるんですが、これがなかなかつきませんでした。全国にお店がありますが、福島には1店舗しかありません。夢破れていよいよ駄目だと思った8月13日、お盆の休みをいただいて日本政策投資銀行の部長に電話をしました。そうしたら「今日は空いていますか?来てください」と。「スポンサーもつかず、いろいろ手が尽きそうになっています。資金はあと2カ月ぐらいしか持たないように見えます」とお話したところ「一緒にやりますか」と言ってくださいました。9月14日にADR申請をしましたが、事前相談をしていますから、ほぼ日がなくADRを入れています。DIP資金をどうしても出さなければならないため、急いでやりました。ADRは相当厳しい手続きですので時間がかかるんですが、10月26日に第1回会議を開き、そこから12月26日までの2か月間、日本政策投資銀行とわれわれが出資する地域ファンドがDIPをし、新会社に対して普通株式、優先株、ローンも入れ、最終的には全部で17行集めました。カット率は97.5%、2.5%です。「何でこれを私的にやらなくちゃいけないのか」と相当議論いただきましたが、私は「ここで働く人たちは全国転勤がある中で二十数万円の給与で働いている。さらに若い方は十数万円で働いていらっしゃる。何でそんなに頑張っているのかと聞けば、洋服が好きで、洋服を着てもらってお金がもらえて、とてもいい仕事なんだと言っていました。その子たちの雇用の場をなくす権利がわれわれにはあるんでしょうか」という話をさせていただき、事業のお手伝いは難しいけれど、東邦銀行は融資を通じてしっかりと支援をしていくので一緒になってやっていただけないでしょうかとお願いをしました。12月26日に全員の手が上がる瞬間を見た時には崩れ落ちました。これが成功したポイントは2つあり、1つは関係者の情熱。そしてもう1つは従業員の方々がやりたいという気持ちを持っていたこと。最後に弁護士事務所で打ち上げをした時に、皆さんが東邦銀行に名前入りの感謝状をくださり「こういう機会をいただき、われわれは新しい会社でこれからも頑張っていきます。本当にありがとうございました」と言ってくださった。こんな素晴らしい人たちがいるんだから、この会社は絶対に大丈夫だと確信しました。現下、アパレルはとても大変ですが、その中では健闘している数字が出ています。事業再生はそこに関係する全ての人たちの心の再生につながり、その心の再生こそがこの国を変えていくんだろう。地方から日本を変えていけるというふうに思っています。

日下:ここまでのお話で、今日は最高のメンバーが集まっているということを皆さんおわかりになったのではないかと思います。さて早速ですが、これまでの地銀の銀行員生活の中で、これは変えないといけないと思ったことはどんなことですか。

杖村:1つあげるのであれば営業だと思います。私の経験の中で一番難易度が高かったのも営業なんですが、営業部門は一生懸命やっていて、自分たちが銀行を支えているという自負もある。それだけに、やっぱり一番難産ですね。

日下:営業の仕組みということですね。

杖村:そうです。仕組みややり方をもう少し時代に合ったものにしなければならないと思います。飲んで歌ってというのは私も好きですし、それが駄目だとは言いませんけれども、最初から最後まで飲んで歌ってプッシュしてという営業はこれからの時代ではなかなか通用しない。そこを変えていくのは並大抵のことではないと思います。

伊波:銀行に入行したときに「銀行って原価計算ができているのかな」という疑問がありました。私は外為がスタートでしたから、売買益や資金利益がすぐに見える。窓口でも見えますが、普通預金を定期にシフトしようと上司が指示をするんです。「いやいや、この方はブラジルにいて年に一度だけしか帰ってきません。だから他行に行く理由がない」とどれだけ説明してもなかなか聞いてくれなくて。これっておかしいなと。もう一つ1989年に私がロサンゼルスから帰ってくるときに、妻に「俺が支店長になる頃は、隣で大根を売っているな」と言ったんです。そのくらい違和感がありました。また、事業再生と言いながら、銀行員は事業のコアコンピタンスを知らない人がほとんどだなと。そこをしっかり見ていくための仕組み作りをしないといけないと当時感じていましたね。

日下:関心があるところがずれていたということですね。

伊波:まさしくそうです。

日下:当時、銀行の関心事というのは何でしたか。

伊波:評価の仕組みが定期率とかにあるんですよね。だから、原価が上がっても定期にしろということが起きていた。そこに非常に違和感がありました。

矢吹:事業再生の前は債権管理で競売とかをやっていたんですが「何でこんなことを毎日やっているんだろう」と贖罪の気持ちがありました。一方で、事業再生においては破産されているにも関わらず、お客さまが涙を流しながらお礼を言ってくださいます。ある時、ショッピングモールを家族で歩いていたんですが、破産された老夫婦が歩いて来られたんです。子どもの前でいろいろ言われたらどうしようかと思ったんですが、旅館のおかみさんだったその方が、女房と子どもに手を合わせて、「あなたのご主人のおかげで私の作った旅館が残っている」って涙を流されたんです。これには衝撃が走りました。ですから、われわれの仕事の中にもこういったことがあるということを、自分たちの後輩、部下に伝えて、いろんなことで失ってきた誇りをもう一度取り戻したいと思っています。

日下:変えねばならないことの一つに営業の進め方、そしてなかなか捨てられない古い物差しである評価体系があると思います。今回のテーマの「変革の地域金融」は古いものを捨てていくことでもあると思いますが、どういうところから捨てていったらいいのでしょうか。

杖村:やっぱり営業はお客さまに喜んでいただけるようなことをしっかりとやらなきゃいけない。そのための指標であり、業績評価であり、人事であるというのが基本のはずです。それができないのは「もしかしたら儲からなくなるんじゃないか、事業として成り立たないんじゃないか」という恐怖感がマネジメント層にあるからだと思います。ですから、マネジメント層のマインドを変えることしか手だてはないんじゃないでしょうか。

伊波:私自身がコンサルタントですので、問題解決には細分化と言う癖がついています。先ほど杖村頭取のお話の中で、できるところからやるというお話がございました。私が役員になってまず変えていったのが、前例主義を止めようと。分かりやすいところでは、営業推進や法人事業が広告やCMを作る時に、役員に事前に披露して、おじさんたちにああだこうだと意見をもらっていた。これを無くしました。決定事項としてCMや広告を見せると、大概「これは意味が分からないな」とか「伝わるのか」とか非難囂々なんですが、結果として沖縄県の広告大賞、CM大賞6部門を取ったんです。この時の審査委員長は琉球大学の副学長の方だったんですが「これはCM界の金融革命だ」と言いました。結局、こういったことの積み上げだと思っています。

矢吹:今、就職活動をしている学生は大震災の時に中学生だった方で、東邦銀行を志望される方々は「福島に帰り、福島の復興のために働きたい」とおっしゃいます。人件費って本当は費用ではなく投資だと思うんです。人材という無形資産をどんどん高みに持ち上げていくことが将来の収益を決めていく。皆さんがやりたいこととわれわれが目指すもののベクトルをどのように合わせ、共感経営をしていくか。それこそがわれわれが腐心すべきことだと思います。また、女性の活躍についてもさらなる変革ができると思います。先ほどのアパレルの事例の現場担当は女性でしたが、彼女を室長・課長へと育てたいと考えています。人材を高めていくには「あれもこれも」から「あれかこれか」へわれわれ経営陣が選択していかなければなりません。

日下:人への投資、人材育成という話が出ましたが、将来を担っていく銀行員とはどういう人でしょうか。

杖村:オーナーシップを持ち、自分の意見でしっかりと議論できる人。何かを進めようとするときに、「抵抗勢力だ」という声をよく聞きますが、そういうことではなくて、全体で議論を尽くしていくことこそが大事です。ただ座って聞いているだけではなくて、意見が違った時にも議論を戦わせることができる。その姿勢がコンサルティングに、事業再生に、組織の活性化に、そして地域の活性化につながっていくと思っています。

伊波:私が若い頃は非常に身勝手な行動を取っていたんじゃないかなと思っています。それに比べると若い方は少し物足りないところもある。ただ、彼らは何かに貢献できると自覚した瞬間にモチベーションが上がるんです。ですから、利他の精神に富んだバンカーを生み出していくと、地域のエコシステムみたいなところにつながっていくと思います。

矢吹:最近、インターンシップや新人研修の場で地銀の志望理由を聞いてみると9割くらいの人がいきいきとして「地域の役にたちたい」と言います。ところがこの人たちが、そういう仕事に就けるまで一体何年かかるのか。そこが一つの課題だと思います。若い人たちの情熱がずっと続くように、われわれもその人たちの目線で物事を見なければならない。銀行は「すうじ」が大事だと言われますが、真ん中の「う」を取った「すじ」が一番大事だとよく話すんです。筋が通った話かどうかを一緒に考えていこうと言うと、若い人たちの頭の中が回り始めます。

日下:先ほど杖村さんのお話のキーワードとして「サービサー」があったと思います。地域を再生するために、地域のそれぞれの銀行が他行債権を取り扱うことのできるようなサービサーを支援の手段として作っていく。伊波さんのところもサービサーを作られましたが、経緯なども含めてお話いただけますか。

伊波:私どものサービサーはまだまだですが、将来的には自行か他行かといった区別なしに、生きるべき事業を再生させていくことを目的にしたいと考えています。とはいえ今のサービサーは本当にまだ寂しい状況なので、人も知識も投入していかなければなりません。そして、矢吹さんがおっしゃっていた志。社外取締役に「何か施策を実行するにしても、そこに高い志がないと駄目じゃないか」と言われ、われわれもハッとさせられました。魂が入らない限り無理だと。

日下:矢吹さんからは「誇り」、伊波さんからは「志」という言葉が出ましたが、われわれは今こそ銀行員としての誇りを取り戻し、志を高くして、ポストコロナ時代に向かっていかなくてはなりません。杖村さんは先ほど「この3年間が勝負」とおっしゃいましたが、ここからどう勝負を懸けますか。

矢吹:コロナ問題の本質の1つはトップラインの消失だと思います。フェーズ1はとにかく時間を、猶予を作るために必死になって、いわゆるゼロゼロ融資、資金繰り支援をしてきました。そしてそろそろ底を打ってフェーズ2に入ろうとしているという感覚があります。ここからどう走らせるかを考えると、この1年ぐらいは公的な金融機関の方々と連携し、力を借りながら、各金融機関が一つになって支えていく助走期間。そこからさらに1、2年かけて事業再生も含めた大胆なバランスシートの改革を行うフェーズ3に移行していくように思います。今は大手のコンサル会社でも経営計画なんて話は全くないそうで、あるのはECとICTの2つだそうです。RPAを徹底して行い、どう効率化を図っていくか。さらにどう売り上げを上げて固定費を下げるか。そこを一生懸命されている。ですから事業者と共に汗をかく3年間だなと思っています。

伊波:1年前まで全国から羨望のまなざしで見られてきた沖縄でしたが、経済の積み上げの歴史が非常に浅いので、資本の蓄えがないという事実が如実に表れてきています。観光業界は圧倒的に外部要因に弱いという危機感は持っていましたが、今、まざまざと感じています。現在は足元の蒸発した売り上げを支えるべく、資金をくまなく供給している状況ですが、現在実施しているアンケートの結果によって、経営者が喫緊の課題だというところに直接支援をしていこうと考えています。沖縄銀行だけでは無理ですから、地元の金融機関、再生支援協議会、専門家派遣、有料人材派遣といったところと連携を取りながら支えていきたいと思っています。また中途半端に諦めてしまわないように「沖縄みらい元気応援室にいつでも相談してください」というメッセージを発信し続けることも非常に大切だと感じています。私どもの頭取は「われわれの積み上げた自己資本は、今こそ県民、地域のために活用すべきだ」という話をしています。トップの覚悟を目の当たりにし、われわれの活動を通して地域の再生、そして経済の復興に貢献、さらには牽引しなければならないという議論が行内で起きています。

杖村:一つ目は営業店にいる法人RMが支援の話ができるようにコンサルティングスキルをまずは高めていくこと。本部のサーバント型支援を高度化することも大切なんですが、それだけでは足りない。そのために次は本部、営業店という敷居さえなくそうと考えています。機能をどんどん融合させていけば、それも夢じゃないかなと。いつまでたっても本部の専門部隊がやっているという状況ではなかなかブレークスルーできないと思っています。二つ目はコロナによってお客さまの営業に対する考え方、あるいは事務に対する意識がどんどん変わってきている。ですから次の3年で、自分達だけでなくお客さまの営業、さらにはお客さまの経理を変えていきたい。そうすることで生産性は上がっていく。今、これだけクラウドが発展してきていますから、うまく、安くお客さまに紹介すればどんどん広がっていくと思います。そうすると支援内容が広がり、アクセルを踏めるようになります。最後はわれわれ自身のIT。ちょっと乱暴かもしれませんが、アフターコロナの3、4年は銀行の決算や収益に関して、中の下か下の上ぐらいでも投資家の方に許していただけるんじゃないかなと。であれば今のうちに思い切って地域、そしてITへの投資をどんどんやっちゃおうと。ですから、銀行自身が投資するというのが一番大切だと思います。

日下:ではここまでの熱いディスカッションについて、多胡さんからコメントをいただけますか。

多胡:今日はとても楽しみに来ましたが、大きな変革の時代に当事者として組織の中でそれを成し遂げられた最高のメンバーで、本当に期待どおりでした。地域金融の経営は経済合理性と社会性をうまくバランスしなければならないので、メガバンクの経営よりはるかに難易度が高い。杖村さんが経費のお話の中で取引先の7、8割は地元の方だっておっしゃいましたよね。そういうところを削っては意味がない。その感覚がすごく大事なんです。銀行の収益がどんどん上がる代わりに地元の元気がなくなってしまうような経営をするのが一番よくない。お三方ともに究極のお客本位で全く本気度が違いますよね。熱い思いがあることに、本当に感銘を受けました。矢吹さんもおっしゃっていたとおり事業再生は、人の心の再生。伊波さんは内部で戦う銀行員だったと思いますが、そういう人たちこそが銀行員でなければと思うんです。将来的には事業再生やコンサル以外は銀行の仕事として残らない。5年後あるいは10年後には、それ以外の業務は銀行のコストじゃまかないきれない仕事になる。組織の中で変革していくことは本当に大変だと痛感していますが、それをおやりになったお三方がいるということはやっぱりいけるんだなと。それが本日の感想です。今日は本当にありがとうございます。

日下:ありがとうございます。コンサルティングと再生業務しか残らないだろうというご指摘に対して、最後に締めの言葉をお願いします。

杖村:私も究極的には地域銀行の役割は事業再生も含めたコンサルタントだけれど、お貸し出しもできるし、ご預金も集めるし、決済も自動でできます、というのが在るべき姿だと思っています。フィンテックの皆さんは敵ではないですから、協業できるところはしていきたい。そのためには、われわれもスピード感についていけるようにならなければなりません。ITへの投資もまさにそこを目指してやっています。そういうことをもっと発信していけば、地方銀行もやりがいがあって満足度が高い仕事として学生あるいは転職者の方にものすごく人気が出てくると思っています。やった分だけお客さまから反応をいただける素晴らしい業種の一つになる。そう思っています。

伊波:多胡さんから「戦う銀行員」と言われましたが、当の本人は全くそういう感覚もなくて。ただ、いろんなところで「人として、銀行としてまずいでしょう」と思うことについては役員とよくやりあってきました。根負けして「勝手にしろ」ってよく言われるんですが、それはもう決裁ですよね(笑)。それを普通にやっていたんで、別に戦う銀行員でも何でもなくて。あとが怖いことを知らなかっただけだと思います(笑)。確かにもうコンサルしか道は残っていないと思います。コンサルって名前はカタカナでかっこよくても、実際にはこてこてです。辛いことも含めていろいろなことを経験していって、問題解決のツールが増え、問題解決のための連携ができてくる。そしてその輪をどんどん広げていく。そこに向けてわれわれも努力していきたいと思っています。

矢吹:究極のコンサルティングって、高度救急救命医だと思っています。先日、心臓外科医の方に「事業再生は病巣を見極めて切れるかどうか。しっかりと説明をしながらやれるかどうかだと思っている」という話をした時に、ドクターが本当にそうだねとおっしゃったんです。私どもは2010年に企業再生支援機構、旧イーティックの9号案件と11号案件をやらせていただきました。1つは800床あるような病院で、1年分の利益を捨てるようなことを本当にやっていいのか、相当逡巡がありましたが経営陣がやっていいと言った。その時の担当役員は行員に「こんなことができる銀行だというのを地域はしっかりと見ている。これを誇りに思ってほしい。だから、みんな自信を持ってほしい」という説明をしました。私の部下は隣で泣いていました。私もとても心に残ったんですが、コロナ禍になってその病院にお伺いした時に、看護師さんに「どうやってコロナの患者さんに対応されているんですか」と聞いたら、「誰かがやらなくちゃいけないから自分がやります」とおっしゃった。素晴らしいエッセンシャルワーカーだと感じました。そしてわれわれもこのコロナ禍にあって、地域金融を守るエッセンシャルワーカーとして職業倫理を、高い誇りを持って仕事ができる、そういう銀行員をたくさん排出したいと思いました。

日下:地域の若者をお預かりして、育て、また地域に還元していく。持っているノウハウ、あるいは持っている資本を地域のために使っていく。これこそが地域金融機関の経営なんだと、皆さん同じように語られました。地域金融はこの3年間で大きく変化していく必要があると思います。日本はこれから様々な問題に直面していきますが、過去に乗り越える時に培ってきた知識と経験、ネットワークを総動員することによって、必ず未来は開けると思っています。今日、お聞きいただいた皆さまの内側には、それぞれに高まってくる思いがあったのではないでしょうか。ぜひ今日から、できるところから実践していただきたい。そう心から願っています。

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